12月24日以降、食べたもの
12月24日
クリスマスイブだが昨日の解禁日のあとなので胃が重たい。夕飯のしゃぶしゃぶ食べ放題まで、何も口にせず過ごした。
にくのおかわりが無限。豚も牛も無限。野菜も薬味もつけダレも無限。カレーとアイスも無限だが目をそらして無限にエノキを食った。野菜はサラダとしても食べられるので最高。「もしもボックス」を使って破産しない世界に行けたなら毎日来たい。
12月25日
クリスマスだが仕事。近所のスーパーで気分を盛り上げる鳥を買う。
その鳥が産んだものをゆでたものと、豚の入った汁物を食べる。胸やけで1マス戻る。
夜はスーパーの惣菜+アルファ
きゅうりの中華風の辛いやつにツナ缶をぶちまけたもの
と、「サラダチキンスモーク味」を切り刻み冷凍ブロッコリーとスライス玉ねぎにオリーブオイルと塩こしょう、レッドペッパーをブッ込んでチンしたやつ、これらが引くほど美味くて2マス進み、ビールを飲んでしまって1マス戻る、furidashi)^o^(
12月26日
朝、職場近くのパン屋で大変エクスペンッシブなソイラテを買い、私を食べて!と誘惑してくる非常に非情に魅力的なパン達を睨みつけながら写真を撮る。次の解禁日にはここのパンを8個以上は食べたい。
いやらしいパンの様子
昼、 いつものスーパーでチンジャオロースを買う。気付いた。このスーパー、炭水化物の量を全ての惣菜にきちんと表示してくれているし、数字がめちゃくちゃシビアだ。惚れた。ありがとう、ライフ is マイライフ。
夕飯は酒を飲みながら好きな音楽を爆音で聴きながらむりくりモチベーションをあげて作った。料理が好きになる薬、あれば買うよ。400万ペリカまで出す、どうだ。
私の1番得意な料理、インスタにあげたら3いいねもつかなそうな「昆布等を炒めてからちょっと煮たやつ」。接写したら、色味が淀んだ池みたい。でもこれ、胃が泣くくらい美味い。料理が上手いんじゃなく、昆布がうまい。
あと、また鍋。
今回はちょっと頑張った。鱈とか入れてみた。食べるラー油をかけて美味い。
昆布のやつも鱈入りの鍋も、よく母親が作ってくれたやつ。お母さん、人生で初めて鱈を買ったよ。意外と、ぷりぷりだね。びっくりしたよ。煮ると、ぐずぐずになるのにね。hendane)^o^(
12月27日
無心で鍋を食う。イナダの刺身と食う。
12月28日
仕事おさめ。適当に掃除して、夕方からは酒を飲みながら会社メンバーでカードゲームの人狼をする。社長の可愛い可愛い奥様がシャンパンと、美味しそうで高級そうなパンを沢山買ってきてくださったので我慢できずにいただく。大変美味しくて気が狂い遊ばせそうになる。パンと共にいなり寿司も食べた。朝の占いが最下位で、ラッキーアイテムがいなり寿司だったからだけど、もう一日が終わるタイミングだったし効果があったんだかどうなんだか不明。
12月29日
鍋の最終処分をして、からあげを食べ、クラブにいき酒も飲まずに遊び、朝方帰宅して野菜スープを飲んで寝た。
12月30日
前々から気になっていた横浜の様子がおかしなレストランに行く。
店内に原寸大シロクマ
外にはcafeの表記、バブリーな内装にお正月和琴BGM
サラダとハンバーグを食べた。夫はお子様プレートみたいなの食べてた。ナポリタンぐぬぬ
きらびやかなメニューたち
コーヒー頼んだら小ちゃいチーズケーキついてたので大事に食べた
全編通して最高だった、ちょっと高いんでお財布が元気な時にまた行きたい。
その後はクラブに行ってジャワティーで乗り切り、帰りにコンビニおでんを買って帰って食べた。セブンのおでんにタケノコあったから最高。調べたら糖質がなかなか少ないようで。新しい扉が開いた。
そしてさっき31歳になった。
母親から、大好きな干し芋が送付されてきた。小さめ段ボールにいっぱい、ゾウでも一度に食べるのを躊躇するんじゃないかという量に狂喜乱舞したが、糖質だから食えない。夫にあげたがうらめしくて後世までたたりそう。毎朝ひとかけらずつ消費しようかな、、、
みなさまよいおとしを。
今日、渋谷WWWに行く人、一緒にカウントダウンしましょう。 中原区のCでした。
自慢の街、武蔵小杉2
さて、前回に続いて今度は武蔵小杉のマイナスポイントを挙げてみる。ここからは主観が強くなるので更に参考にならないかもしれぬ。
まず、武蔵小杉は「遊ぶ」という視点から見ると、つまらない。本当に、面白みがまるでない。うどんならかけうどん、インドカレーならバターチキン、アニメならサザエさん、お風呂なら40℃。「なんか、、、足す?なんか。ちょっと物足りなくない?え?辛味?油?香り?」という感じ。安定だし、安心だし、間違いはない。が、それだけ。
「住めるし遊べる」という、バランスの良い街は確かに存在する。年代やライフスタイル、どんな遊び方をするか等で話は変わってくるが、ここでは周りにいる同世代の人たちやそれより下の若者の感覚で考えてみる(我々夫婦は1986年生まれ)。
そのバランスの取れた街の代表格は、下北沢だと思っている。
古着屋さんや雑貨屋さんが所狭しと立ち並び、平日も休日も賑わい、尚且つ家賃や交通の便の生活面からも「住む」ハードルはそれほど高くない下北沢。
「住む」を重視するか、「遊ぶ」を重視するか、両方適度に叶う街にするか。そんな判断基準を、身近な多くの人は重視しているように思う。
下北沢に住む絵に描いたような都会男子の知り合い(モデル兼アパレルPR兼DJ)に、「東横は(一ミリも住みたい沿線とは思え)無い。良さがわからない。」とバッサリ切り捨てられたことがある。
東横沿線で言うと、渋谷は「住む」にはハードルが高めで、どちらかと言えば「遊ぶ」街のイメージが強い。渋谷以西の東横沿線の街は、主要な駅に出やすく「住む」には便利だ。ただ、下北沢のように楽しさのある街より、どちらかと言えば静かで落ち着いた街が多い。しかし「住む」 街に刺激は不要、「住む」と「遊ぶ」は完全に切り離して考えようと結論を出し、我々は東横沿線の街の中でも最も安定的に思えた武蔵小杉に越して来たのだ。なので、欲は言わないつもりでいる。
ちなみに下北沢のシティーボーイは、つい先日まで我々と同じ川崎市民仲間で、登戸に住んでいた。彼は川崎を捨て、「住む」と「遊ぶ」を手に入れて、キラキラ楽しそうだ。
そんなわけで我々夫婦は、休日になると面白みを求めおかしな格好でほかの街に足をのばす。ボロいグレーのマンションから、緑の花柄セットアップに緑のファーコートを羽織り赤いヘビ柄のテカテカした靴を履いた私と、ピンクのスーツにオリエンタル柄のシャツとカラフルなネクタイを合わせペイズリー柄の靴下を履いた夫が道路に出ていくと、通行人はチンドン屋を見るように一瞥をくれ、「関わらんとこ」とすぐに目線を外す。別にいいのだが、少し切ない。たいがいそれは黒いダウンジャケットを着た中高年の夫婦や、近くの私立高校で部活を頑張る少年たち。世に言うところのいけてる若者は、あまり街を行き交っていない。
別に問題ない。クソのつく田舎から上京してきたばかりの我々にとって駅まで歩ける距離に住めるならもうそれだけで全員いけてる。
武蔵小杉は、「住む」に徹するにはもってこいの、面白くない落ち着いた街なのだ。それで良い。だから我々が「遊ぶ」時は、お出かけ前提だ。でも、古着屋さんとか、近くにフラッといけるお店が増えたら嬉しいな。
ただ、「住む」に徹することができるとは言いながら、電器屋とホームセンターが無い。引越したてのころ、電車で隣町へウォシュレットを買いに行き、夫が亀の甲羅よろしくそれを背負って帰って来た時の様子は忘れ得ぬ。電器屋とホームセンターとパチンコ屋だけが人口を無視して乱立していた地元を思い返し、需給バランスの難しさに唇を噛んだ。
また、ご飯屋さんどこ行く問題も叫ばれて久しい(夫婦間で)。外食の多い私たちにとって、これは由々しい問題だ。
武蔵小杉へ来てから二年半、街の飲食店は少しずつ変化している。この近くでは珍しかったケーキ屋が突如閉店し、すぐさまメガネ屋になった。ラーメン屋が店をたたみ、イタリア料理店になったと思ったらあっという間に潰れ、また別のラーメン屋になった。それとはまた別のそんなに古くないイタリア料理店は、先日暖簾を下ろした直後ステーキ屋に変わった。
姿を消した店に共通する特徴を考えた。いずれも夫婦で一度は足を運んでみたが、それっきりというパターンばかりだった。不味いわけでは無いがリピートの決め手に欠ける。そういうお店が、できては閉まる。武蔵小杉の個人が営む飲食店は長く営業を続けるのが難しいらしい。「遊ぶ街ではない」からこそ、ある程度のリピート客を獲得できない店は撤退を余儀なくされるとも言える。オフィスビルも数少ない上局所的にしかないので、サラリーマンのランチを狙うことも難しいだろう。
新しい大手商業施設内の小洒落たコスパの良くないカフェや瀟洒な居酒屋は沢山あれど、地域に根ざし、皆様に愛されて30年、迷ったらとりあえずここに入れば解決、みたいなお店はなかなか少ない。
我々夫婦は酒をほとんど飲まないので、焦点は昼からあいている店に絞りがちだ。適当にいつでも入れる、無難なメニューが美味くて安い定食屋や洋食屋、ちょっと変わったこだわりをもつカレー屋や個性のあるアジア料理のお店、とかカフェとか、パン屋、もっともっとあったら嬉しいと思っている(そういえばこの街には路面のパン屋さんが、無い)。
そんな中で見つけた、割と歴史のありそうな近隣住民御用達の雰囲気が良いお店も何軒かある。
パーラーきよのやと、和田珈琲店
https://://tabelog.com/kanagawa/A1405/A140504/14028211/
https://tabelog.com/kanagawa/A1405/A140504/14028008/
きよのやはカツカレーもホットケーキも美味しい、昔ながらのパーラーだ。夢のよう。生姜焼きもパフェもおいしい。老若男女、心が踊るはず。
和田コーヒーは飾り気のない美味しいコーヒーを時間を気にせずに飲ませて頂けるお店。いつ行っても、時がゆっくり流れているような錯覚に陥ることができるから、コーヒーを一杯飲む以上の価値があると思える。
この二軒は、武蔵小杉に来るなら是非お連れしたい。
派手さは無いけれど、安全に落ち着いて静かに暮らせる街。美味い店はこれからできるかもしれない。一度来てみて、気に入ったら住んでみませんか。ウォシュレットはamazonで購入を。住みやっすい街で、共に「住む」を極めてみませんか。
とかなんとか結ぼうと思ったが、重大な問題が残っていた。
タワマン林立に起因する急激な人口爆発。通勤ラッシュ時の駅のホームは毎日地獄の様相を呈しているようだし、保育園活動も激戦区となり、保育所を増やしても増やしても追いつかず、待機児童問題は悪化の一途を辿っているそうだ。
ラッシュ時に電車を使わない時間帯で働く仕事に就き、子供もいない我々夫婦にはあまり関係無いが、街全体としてみれば深刻なマイナスポイントはこの二つなのであろう。
これからも武蔵小杉に住み続けるかどうかはわからない。ライフスタイルが変わればそれに合う街をまた探すことになるかもしれない。とりあえず現状の我々にとって、武蔵小杉は住みよいので住んでいる。
機会があれば武蔵小杉に来て欲しい。びっくりするような面白いことは無いとしても、 美味しいコーヒーをゆっくり飲んで、そのあとどこかに出掛ければ良い。
自慢の街、武蔵小杉1
「♫自慢の街、武蔵小杉、大好きな、武蔵小杉、住みやっすいったら武蔵小杉、東ー急スっクエっア♫」
この、可愛らしくもそこはかとなくマウンティングを匂わせる絶妙におかしなお歌は、何を隠そう我らが仮谷せいらちゃんが唄っておいでだ。
せいらちゃんをご存知でない方、tofubeatsなどと合わせて検索してみると素敵な曲に出会えるかもしれない。
これは私の住む街、武蔵小杉の駅にくっついた駅ビル【東急スクエア】の三周年記念ソングらしい。ちょっと前まで東急スクエアにいくと、この曲が無限リピートされていた。少し、脳にくる。
さて件の武蔵小杉だが、近年の住みたい街ランキングでは常に上位をキープし続けており、何やら盛り上がりを見せている。先ほどの歌の通り、住みやすさが売りなわけだが、具体的にどう住みやすいのか?考えてみた。だいぶ主観的な内容を含ませて、参考にできるかはあまり考えずにつらつら書いたが、この街に住む人や働く人の話を聞きかじると大体みな同じようなことを言っているし、あながち外れてもいないと思っている。矛盾していたり論点がズレたりしている箇所があるかもしれないが素人の日記なのでスルーしてほしい。
我々夫婦も、ピンポイントで「住みたい、武蔵小杉に、住みたいいい」と、うわ言のようにつぶやきながら(主に夫が)引越しを検討し、二年半ほど前、転職を機に雪国から移り住んできた。
その決め手となったのは、何を差し置いても利便性だった。
乗り入れ路線数は13路線とか厳密に言えば21路線とか言われている。つまり、電車で結構どこにでもどうやってでも、少ない乗り換えでいい感じに出掛けられる。
「どっか、とおくへいきたい」こんな詩的な願いも、武蔵小杉に住んでいればフラリと乗り込んだ電車が宇都宮まで連れて行ってくれたりするので、自分探しの旅をする人ごっこにはうってつけだ。ただし寝過ごしは結構な命取りとなる。
とは言え、電車を最も使用するのは通勤時だし、遊びに行くにしても決まり切った場所ばかりで、身近な都心部から出ることはほぼ無いので、別に「一本で前橋まで行けちゃううっ、ヒェェェアっ!!」みたいな喜びは、そんな無かった。
ただ旅行に行くときに成田エクスプレスが使えるのは熱い。お金をケチりたくば、エクスプレスじゃなくても普通の電車が成田まで連れていってくれる。
羽田は、と言うと、直通バスがある。熱い。
それから、渋谷や新宿も近いが同じくらい横浜も近い。これは大きなメリットだった。何故か。我々は横浜が好きなのだ。何故か。理由は別にない。「良く遊びに行く方面」的に、武蔵小杉はちょうどよかったのだ。
また、噂で聞いていた治安の良さも決め手の一つだった。実際住んでみると、子連れ夫婦が安心して子育てできそうな雰囲気があり、女性一人でもあまり警戒することなく夜道を歩くことも可能に思える。
ただ、全国ニュースでも多少報道された高層マンションからの異物落下事件が耳に新しいところだ。あの時、得体の知れぬ恐怖に一帯はざわついていた。闇を感じずにはいられぬ。
しかし我々が住むマンションは「なにそれ事故物件?」と聞かれるほどの破格で契約した駅徒歩5分程度の古め賃貸だが、特に気になる点もなく快適に暮らせている。強いて挙げれば、一階に住んでいるらしいお婆ちゃんが不定期に怒号と奇声をあげることが心配なくらいだ。
が、なんてことはない。雪国に住んでいる時は、車にカップラーメンの汁をぶちまけられたり、車のタイヤ付近に無数のクギを散布されたり、隣の部屋のおっさんがカーテンも付けずに夜中半裸でうろつく様子を見せつけられたり、そのおっさんが大音量でAVを鑑賞してる音を聞かせられたりしてきたのだ。このような実害がないなら、なんてことはない。
どこに住んだとして「ん?」となる事案はゼロでないだろう。その違和感が少ない場所を選べたのは英断だったと、ときたま夫に尊敬の眼差しを向けてみる。
ここまで褒め称えてきた武蔵小杉にも、当然ながら「もうちょい」と思う部分がある。長くなったから次回に書く。
12月23日 1日限定、糖質を解禁した
今日だけは、朝から好きなものを好きなように食べ散らかすと決めていた。
別に医師から許しを得たわけではない。勝手に決めたんだ。だから、参考にしないでほしい。絶対に体に良くない。
たまにはいいだろ。もうサラダチキンのパッケージを見ただけで吐きそうなんだよ、こっちは。
朝起きて、実家から沢山もらったのに一度しか炊いていない新米を卵かけご飯にして三杯食べようと思っていたが、どうにもコメの気分ではない。
とりあえず、近所のスーパーで昨日買った「あずきをかぼちゃで包んでコロッケにしました」という狂気の沙汰のようなものに手をつけた。
こんなもの、一体誰が何の目的で買って、何をつけて食うんだ?糖質を2週間以上制限して、1日だけ、1日だけ解禁しよう、、、!!!って決めた人間以外の購買意欲を刺激するとは到底思えないが、そういう人間にとってしてこの上なくベストな惣菜(おやつか?)であることは間違いなかった。
味は大変美味しかった。あずきもかぼちゃも久しぶりだった。ああー自然の甘み。大地に感謝、天照大神にヤーマン。
1パック食べた。でも衣は大体剥いだ。脂がきつくて。胸の中で大地と小麦農家に謝る。
その後、これを大事にチョビチョビ飲んだ。
和歌山にふるさと納税をし返礼品として沢山いただいたジュース。ふるさと納税した時分はまだ、脂漏性皮膚炎が発覚する前だったんだ。当然果糖も制限対象であり、めでたく夫専用の飲み物と化していた。すげえ美味しい。みかん。語彙力を失うくらい美味しい。
その後、予定していた水族館に夫と出掛ける道中これらを貪り食べた。
いざ、何でも好きなもの食べよう!と思うと、アドレナリンが出すぎてパニックを起こし、今まで一度も食べたことのないものを買いがちであると身をもって知った。
まあ良い。全部この世のものと思えぬほどうまかった。甘いは正義。糖こそ平和。
水族館について、すぐにご飯を食べた。チーズをぶっかけたロコモコとサラダ。
ポテサラもトルティーヤチップスもよけずに食べた。先日のカフェでサラダから抜いてもらったトルティーヤチップスをここに足して欲しいと思ったりした。
魚などを見ながら、合間に甘い飲み物を飲んだ。
液状化したチョコにマシュマロをぶち込んだ、もうそれは飲み物ではなかった。ここにマックスブレナーのチョコレートチャンクピザがあれば完璧だった。
ペンギンなどを眺め、クリスマス期間限定らしい打ち上げ花火を見ながら長い芋を食った。
すごい長かった。
帰りの道すがらお菓子の残りを胃におさめつつ、夕飯は寿司かなあと思っていたが太陽のトマト麺があったので最後の晩餐は麺に決めた。
水餃子、トマトのカレー、辛い魚介入りトマト麺。腹が苦しい。でも美味い。
これを考えた人は天才だ。トマトの麺なら、パスタ以外でも上手くないはず無いのだ。トマトは万能だ。何かと合わせて不味くなることはそうそう無いし、そのまま食べても美味しい。そんないじらしいトマトも、解禁日でなければ心置き無く摂取することができない。この世に神はいない。
常々、ここの麺は少し変わってるなあと思っていたが、店の案内を見て初めて豆乳を使った麺であることを知った。糖質を結構カットしてくれているらしい。朗報。これなら解禁日でなくても使えそうではないか?でも、トマトには前述の通り糖質がある。それを加味して、夜に食うなら昼ごはんと調整したりきちんと計算するなりして、また食べに来たいと思う。はあつら。つらつら。
店を出て、少し吐きそうだった。胃が限界だった。でも幸せだった。涙が流れた。12時がきたのでシンデレラよろしく糖質解禁日は終了と相成った。
翌朝、起きてから気づいた。ケーキを食べ忘れた。次回の糖質解禁日(未定)にクリスマスケーキを売ってくださるお菓子屋さん、ケーキ屋さん、ご連絡をお待ちしております。
12月5日以降、食べたもの
12月5日
脂漏性皮膚炎との診断結果を受け、イトーヨーカドーのイートインコーナーでブラックコーヒーを飲みながら、今後の人生を考える。肉と野菜を炒めた夕飯を作って食べる。
※基本的に朝は昔から食べる習慣がなく、昼は件の皮膚炎発症後、原則コンビニのサラダチキンとゆで卵二つ、サラダや汁物のみ、と決めたので省きます。
このストイックなランチメニュー開始直後は、となりでチョコパイをモリモリ食べる職場の先輩に「アスリートじゃないすか!」と突っ込まれるなどしたため、自分の運命を少し呪いました。
12月6日
あろうことか、会社の催すピザパーティに参加することになる。チキンナゲットをつまんでいたが我慢できず、ピザも食べる。意志の弱さを思い知る。
12月7日
やけくそになり、豚バラと野菜、卵とチーズとシーフードをフライパンにぶち込み「糖質以外全部入り炒め」を作り食べる。
12月8日
夫のリクエストでトマトソースのパスタを作る。キノコを大量に入れ、ブロッコリーとアボカドを別途食べた。私は麺なし、トマトソースのみ。侘しい。
12月9日
友人と出かける。事情を話し、ランチはスンドゥブ定食屋でホルモン入りスンドゥブを食べる。カフェでコーヒーを飲んで帰宅。いつもならケーキも絶対食べるのに、食べられない。友人も付き合ってくれたのでコーヒーのみ。気をつかわせた気がする。糖質制限は友達が減るのでは?
畜生。
12月10日
夫と出かける。夕飯はステーキハウスけんでステーキとサラダバーのサラダを死ぬほど食べた。隣の席の家族のお子さんが、チーズインハンバーグの上部に穴をあけ、付け合わせのポテトをフォンデュして食べていて天才かと感動した。絶対うまいやん。
12月11日〜12月15日
今週の夕飯は鍋と決め、毎日鍋に野菜や肉を増やしながら食べきった。だんだんネタが尽きてくる。糖質を避けるストレスでイラつきやすくなる。糖質がストレスを増やすんじゃなかったか?お?
12月12日の昼に食べた卵。ローソンのゆで卵だが、新鮮すぎるようで皮がうまくむけず泣いた。貴重な飯が。わしの飯が。
セブンのゆで卵は味がかなり濃い 、今の所ファミマのゆで卵がベスト。あとは二個入りさえ発売されれば完璧。
体は前まで酷かったむくみが少し解消してきたような気がする。皮膚炎は全く出なくなった。
12月16日
越谷レイクタウンまで出かけ、中華の食べ放題で不安になるくらい食べ放題した。麻婆豆腐、ホイコーロー、からあげ、中華風おでん、鶏胸肉サラダ、ほか名称不明のおかずたちを無限に食う。
あんかけ炒飯をむさぼる夫をじっとりと見つめながら、麻婆豆腐の餡に使われている糖、ホイコーローの調味に使われている糖、からあげの衣の糖に多少の不安を覚えた。
12月17日
夫と友人とお台場へ出かけ、地中海料理の食べ放題で不安になるくらい食べ放題した。主にポトフやサラダやシーフードのアヒージョで腹を満たし、ミネストローネはトマトが気になりおかわりは控えた(トマト、野菜だし根菜でもないのに糖質含有量的には要注意らしい、大好きなのに、つらい)。食べ放題やステーキやら、、、糖質制限だと外食がそっち方面に行きがちで、エンゲル係数が青天井。破産する(自炊しろ)。
12月18日
夫が丸亀製麺にいったことに触発され、大豆でできたソイドルという麺でうどんを作り、鍋ごと食べた。鍋に近づいて食べる必要があり、近づきすぎて鍋のふちで顎をやけどした。極度の面倒くさがり屋は飯をトラブルなく食うことすらままならない。あはは。
12月19日
コンビニで買ったおかずとか納豆。
自炊に疲れた。
12月20日
自炊疲れが抜けず、夫の帰りが遅くなるというので駅ビルに入っているおしゃチェーンカフェに行きサラダとスープを頼む。メキシカンチキンサラダと銘打っておきながら小さなチキンが3切れ、メキシカンとは言いながら小さなアボカドが2切れ、みたいな絵に書いたようなおしゃれサラダできつかった。なによりブロッコリーが少なくて悲しかった。野菜高騰の世を恨む。公式から写真を拝借した。実物と相違ないのは元気なクレソンのみに思えた。
同12月20日、スターバックスラテの1番デカいやつを買ったら、おかわり200円チケットをもらった。レシートについており、同日なら200円で同じサイズのおかわりが飲めるラテ用ルールで、これはすごい特だししかも買うならベンティが絶対いいじゃん、ってなった。せっかくなのでおかわりしにいって、プラス50円でアーモンドミルクに変更したら、途中でびっくりする程飽きた。ベンティは中身に慎重にならなくてはいけない。
でも牛乳は要注意と聞いている。糖質があるらしい。ただ牛乳くらい許してもらわないと困るから、聞かなかったことにしている。
12月21日
仕事で疲れたのでファミレスを提案。デ○ーズで空気のような接客を受け、提供前に拳の中で一度ギュっと握りつぶしたような見てくれのほうれん草のソテーとシーザーサラダを食べた。
コスパが最高に悪いが手間と時間が惜しいので仕方ない。
12月22日
お昼ご飯をうつした。汁物が足りず後悔。このファミマのチキンは、うまい。
夜ご飯。スーパーの惣菜。インスタも何も映えない黒い塊はお刺身ワカメ。ミミガーの辛い味付けのやつが死ぬほどうまい。夫は夫で健康診断で尿酸値と中性脂肪が高いなどと言われたようで、気にしているようだ。夫婦そろって食べ物を制限することになる、これが30代か。
明日12/23は糖質を解禁するつもりでいる。朝から米を炊いて卵かけご飯を三杯食べると決めている。なにも気にせず好きなように食べ、夜はケーキも食べたい。
この、急に糖質解禁する方法、絶対体に良くなさそう。でも天皇誕生日だし許されたい。楽しみです。
はじめに
顔がパンパンに腫れ上がる。
熱をもち、赤くなり、かゆみで死にそうになる。
急にこんな症状が出たのは、馬車馬のごとく身を粉にして働いた会社を辞めようと決意し、喜び勇んで出掛けた海外旅行から帰国するちょうどその日だった。
旅行先は、綺麗な碧い海に囲まれた小さな島国で、10月だというのに気温は30℃近くまで上がっており、調子に乗った私は焼け付くような太陽のもと海でじゃぶじゃぶ楽しく遊んだのだった。
きっとあの時の日焼けのせいだ。そう自分に言い聞かせ、機内で長時間かゆみに耐えて、日本に着いたと同時にパンパンの顔を隠すためにマスクを買い、その足で病院に直行した。顔の腫れは、現地を出発した時より明らかに勢いを増し、針を刺したら破裂してしまいそうだった。
病院では血液検査を受けた。状況を説明したところ、医師は「日焼けというより、膠原病(コウゲンビョウ)のエリテマトーデス、いわゆる蝶形紅斑(チョウケイコウハン)の疑いがあるね」などと呪文を唱え、血液検査の結果が出るまではとりあえずかゆみ止めの飲み薬でしのいでね、とその日は帰された。
難しい病名にハラハラし、具体的な治療をしてもらえないイライラを抱えながらも、旅行前に決めて楽しみにしていた予定には腫れた顔をたずさえて出席した。マスクを少しつまみあげてその隙間から料理を食べるなどの奇行に及び、同席者から不審がられるなどした。仕方なかった。もう顔は腫れすぎて若干変形しはじめていたのだ。
その時の写真
夫は私と向かい合うたびに「誰だよ」とゲラゲラ笑った。つられて笑い転げながら、「一生このままだったら」と少しひんやりした。
数日後、検査結果が出た。膠原病の疑いは晴れ、医師は「日光皮膚炎」と診断を下したのだった。やっぱ日焼けか。地黒にあぐらをかいて日焼け止めをお気持ち程度しか塗らなかったことが災いしたか。
その後、出された飲み薬で様子を見ていたが、かゆみはおさまるものの腫れがひかない。もしや旅行先のバカ食いで太っただけなのでは?と一抹の不安を抱えながらも、別の病院に行ってみた。
皮膚科で、腫れを治したい、塗り薬をくれと伝え、弱めのステロイド薬を手に入れた。しばらく根気よく塗り続けたところ、赤みも腫れも徐々に引き、気づけばもとの顔に戻っていた。
腫れがひいた数日後の写真。化粧してるとかそういう要因を差し引いても輪郭が結構違う。
が、完治したようには感じられなかった。普段は問題ないが、何かの拍子に急に症状が出る。原因を探るべくその時々に口にしたものや行動をメモっていたがどうにもわからない。なんなの。
そのうち症状の出る頻度が上がった。不安が再浮上し、評判の良い別の病院をきちんと探して、改めて受診した。
そこで担当してくれた安心感の権化みたいなおじいちゃん先生は、私の顔腫れMAXの自撮り写真をみて「すごく良い写真だね!こんなにわかりやすいの無いよ!」と感嘆の声をあげ、メモに「脂漏性皮膚炎」と診断結果を走り書きした。
はじめて聞いた病名。前の病院では、日光皮膚炎と言われた、と告げると、それはデタラメだな、と、次のような見解をくれた。「日焼けなら鼻の頭が一番ひどいはずだし、目の周りだけクッキリ症状でてないのはおかしいでしょ。」たしかに。
先生によると、体の中に溜まりすぎた脂が溢れ出して、顔の表面でそれをエサにする菌が炎症を起こしているらしい。
なんか!汚い!え、汚くない?!でも納得いかない。産まれつき、肌の細胞がまったく水分や油分を保持してくれない体質で、これまでその超絶極乾燥肌と戦いながら生きてきたのだ。なのに、脂が漏れて炎症?Damm)^o^(
先生に疑問をぶつけると、体が乾燥肌でも顔だけにこの症状が出る人がいるらしい。半信半疑でいると、「甘いもの好きでしょう。」と言われた。そんなもん、30歳のOLにわざわざ聞かんでもわかろう。大好きだよ。それがなんです?
「ダメだよ、甘いもの」
え?なに?ちょっと聞こえないな
、、、、、、え?うそだ、、、、、、
一瞬、耳が遠くなった。先生の声はオートチューンがかかっているようだった。余計な脂=余計な糖質だそうで、糖質をとにかくとらないのが良い、と食事の指導を受けた。先生は、私の愛読書、と言い、ananの「糖質制限ダイエット」の特集を見せてくれた。
そんなの知ってる。糖質が体に良く無いのは、3歳の頃から知ってる。
あまたのアレルギーや喘息を持って産まれ、例によって肌も激弱だった私に、母親は常々甘いものはよくないと注意し、制限を与えてきた。ある程度大きくなったら、そんな小言は無視して甘やかす大人に媚びては好きなものを好きに食べ散らかし、怠惰に太りながら体を掻きむしって生きてきた。
社会人になり拍車がかかって、市販のお菓子もラーメンもピザも更に自由に摂取し続けてきた。好きなものをやめて長生きするくらいなら、好きなものを好きに食べて早死にしてやる、と開き直っていたが、好きなものを好きに食べて顔が腫れるなんて、聞いてない。
これは偶然ではない。体の実状を無視し続け、奔放に毒を取り込み続けた結果、溢れ出す脂を押さえていた堤防がついに決壊してしまったのだ。これまでの愚行を恥じ、私のようなバカ者の体内で文句も言わずに戦ってくれ、ボロボロになった堤防の無念さに思いを馳せ、むせび泣いた。
そして決意した。糖質を制限することを。100%は厳しいかもしれないけど、顔が腫れるのは嫌なので頑張りたい。2017年12月5日。
同じ事情で糖質を断っている人がいたら、一緒に頑張りましょう。マハロ。