ぽめぇの暮らし

生きています

魔女の宅急便をみて、嫌いな上司に脱ぎたてパンツを見られたことを思い出した

魔女の宅急便をテレビでみた。金ローよありがとう。岡田斗司夫の言いつけをまもり、ちゃんと録画したので、ゆっくり観た。

 

改めて、気付かされることが多い作品だ。と思ったので整理してみた。

 

1.キキのへこたれない力

キキ、よわい13歳である。しきたりとかいって、両親の庇護を受けてきた環境を当たり前のように捨て、見知らぬ街で、身寄りもないのに一人で生活を始めなければならない。この状況に、彼女は「ワクワクする」とのたまう。およそまともな感覚と思えぬが、その積極性には目を見張るものがある。冒頭の先輩魔女への挨拶。不安を減らそうと、体験者の声を聞く。そして占いで生計を立てているという彼女の言葉で、自分には「暮らすための特技がないかも」ということを改めて突きつけられる。

 

だがそんな不安はおくびにも出さず、「暮らすなら海の見える街」と、彼女はビジョンを強く持って飛び続ける。成功者の思考の基礎、「願望への執着」をしっかり見せつけてくれる。

 

そして早速、理想の街を見つけて降り立つ彼女は、都会の洗礼を受ける。無作為に街中を飛び、接触事故を起こしかけ、道ゆく人には冷たくあしらわれ、オマワリに目をつけられて、気安く話しかけてくるナンパ男を振り切り、ホテルでは未成年であることを理由に宿泊を拒否される。開始早々、すでにすごい数の挫折や予想外の出来事を味わう(何なら昨夜は適当な天気予報のせいで雷雨に見舞われ寝不足)。

 

普通ならここで母親に電話し、実家に帰っても良さそうなもんだが、彼女は諦めなかった。

 

だけど、社会に出たばかりの新人OLだった私たちって、こうじゃなかったか?

私は少なくとも、キキと同じくらいの困難にぶつかった。卒業式を終えて新入社員研修の施設に到着したら施錠されていて、携帯の電池も切れて路頭に迷いかけたり、炊き込みご飯を初めて自作したらランチまでの間に腐ってしまったり、挨拶はしっかり!と思い毎日元気に過ごしていたのに、上司にはめちゃくちゃに冷たくされたり、不在時に寮で漏水がおき、嫌いな上司に部屋へ入られ、脱いだまま放置していたパンツを見られたり、寝坊して無断遅刻をしてしまったり。

 

完全に重なるわけではないが、困難に打ちのめされるキキの顔は、どこかでみたことがあるのだ。

 

話を戻し、キキの件。彼女は偶然、常連さんの忘れ物を届けようとしていたパン屋のおソノさんを助ける。ほうきでひとっ飛びして忘れ物を届けた彼女は、おソノさんに身の上話をし、うちの空き部屋使いなよ!と好意を受ける。おソノ。義理人情にアツいオンナ。下町出身?

 

2.キキの与える力

でも、忘れてはいけない。おソノさんはキキに恩を返したかったにすぎないことを。

 

ただ泣きべそをかいているだけの少女に出会ったなら、おソノさんも実家に帰れば?と促したかもしれない。だけど、キキはビジネスの基本である「他者貢献」を、幾多の困難に打ちのめされた直後でも初対面のおソノさん相手に自然にやってのける。しかも、自分のメリットを最大限に活かせる形で。これが、あたしが届けます!脚力には自信あるんで!とダッシュで届けたなら少し話は変わるのだ。

 

ここが素晴らしい。まず自分が与えられるものを最大限与えること。夢を手にしたいならば常にギバーであれ。キキはそこを潜在意識レベルで理解している強者なのだ。

 

 

3.キキの堅実さ

そして、無事部屋を借りたキキ。商売のアイディアを思いつき、それに向かってまっすぐ動き出す。

 

キキが日用品を買いに行った店でこぼした「暮らすって物入りね。」このセリフ。そう、暮らすとは、一人で生きていくとは、信じられないほど物入りなのだ。それを、初めて自覚した。13歳。早すぎるぞ。

 

その帰り、ショーウィンドウにうつる素敵な靴をうらやましく眺める。ここで買わないのが偉い。一方私はと言えば入社した瞬間に10万円のジャケットと5万円のブーツをボーナス一括払いで買い、その後すぐうつで休職して負債だけを抱える羽目になった。キキは堅実だ。身の丈を理解している。

 

4.キキの客観的視点と交渉しない交渉力

よく朝。キキはおソノのパン屋の仕事を手伝うことを買って出る。「私って、空を飛ぶしか能がないでしょ?」と、後にも先にもこの物語でしか聞けないと思われるセリフを吐くが、これがまた、自分の能力値を客観的に理解できていることの現れでもある。少し自己肯定感の低さは見えるが、例えばキキの母は飛べる+製薬技術、先輩魔女は飛べる+占い、と、飛べることは魔女にとっては初期設定レベルなので、飛ぶことすら下手な彼女からはこんなセリフが出てきて当然なのだ。が、キキは気づいていない。キキの持てる最大の能力は、「誰かの力になりたいという強い気持ち」であることに。

 

彼女は宅急便をはじめると宣言する。ここもうまい。うまいも何も戦略的ではないからこそ清々しさ、初々しさ、素直さが際立つのだが、自分の貯金を切り崩して電話を引き、商売の準備を整えるつもりだとおソノに話す。

 

お人好しのオソノ、部屋は継続して使って、店の電話を使いなよ、店番もしてほしいしさ。ついでに朝ごはんもつける!と誘い、キキは喜んで受け入れる。

 

この辺トントン拍子。新人の時でもさ、がむしゃらにやってく中で、なんとなくいい波がくるタイミングってあるよね。でもそれってよく紐解けば自分で引き寄せてるんだよ。おソノはたぶん直感で、この子は助けたらきっとしっかりやる子だと信じたんじゃないかと思う。それも全てはキキの引き寄せた運。偶然ではないのだ。

 

5.キキの仕事力と現実味のある嫌なヤツ

その後、何とか宅急便で頑張るキキ。パン屋の店番と複数件の仕事のタイムマネジメントも、適切な料金設定も自分で考える(おそらく途中から、距離と重さ、指定の希望日時などで運賃を分ける方式をとりはじめる。さすがクロネコヤマトの協賛とも言える)し、電話の受け答えも敬語もまあ完璧。細かいところはとりあえず走り出して、走りながら調整をかけていく。ベンチャー企業みたいなビジネスのおこしかたをしてる。何度も言うが、この子は13歳。39歳の女は正座してこのアニメを観なければいけない。

 

良かれと思って一生懸命に工夫して引き受けた仕事。さぞ喜んでくれるかと、雨でずぶ濡れになりながら大事に大事に料理を届けたその先で、不機嫌な女から「あたしこのパイ嫌いなのよね」と強烈な捨て台詞を浴びる。

 

なんと可哀想に!と目を背けたくなる、だけどよく思い返して。現実ってこんなもんじゃない???

 

お金もらって仕事してんだし、まあ自分のすべきことは果たしたんだからよしよし、つぎつぎ!って流して良い案件なのだ。キキに焦点を当てると過剰にキキに肩入れしてしまうけど、世間の常識に照らしたらあるあるだなあと思う。せっかくのパーティーにばあちゃんから不味いパイ届いた興醒め!って感じの不機嫌な女の態度、嫌なヤツめとは思うが、まあいるよね、客商売だし、って感じ。気にした方の負けである。

 

6.違う畑で頑張る先輩(メンター)

その後、トンボ、という恋愛要素が混ざってくるとともに、キキのメンタルは少しブレ始める。

 

そこで大きな問題発生。ある日突然魔法の力が弱くなり、空が飛べなくなってしまうのだ。

 

この、キキの魔法が弱くなった最大の原因。見知らぬ女の嫌味とか、雨に濡れて体調崩したとか、そういう仕事起因の挫折なんて可愛いものではない(いや、正確にはこれらも重なって、ということもあるだろうが)もっと、キキのアイデンティティの根幹を揺るがす、大きな大きな問題。そう、その名はコンプレックス。

 

自分の気になる人とせっかく気分よく楽しく過ごしていたのに、その人が自分の知らないキラキラした世界とつながっている現実を突きつけられ、「私なんて...」の不貞腐れメーターが全開になってしまう。

 

比較対象さえなければ。仲良くなった相手が、私とだけの世界に生きてさえいれば。こういうジェラシーとは向き合わなくて済む。だけど、社会はそう設計されてはいない。社会は他者と関わることでできていて、誰かと比較してより優秀なものが前に、上に、他者の見やすい位置に移動していく。13歳にとっては、残酷な世のことわり。キキが事業家として十分な素質を備えているとしても、この辺の気分の浮き沈みに翻弄される様は全然13歳だ。いやごめん39歳もそこそこ翻弄されています。不貞腐れを表出させないだけで。皆が一生付き合っていくんだ、ジェラシーやコンプレックスとは。

 

余談だが、ハヤオは13歳の女の挙動がどうしてこうも手を取るように細かくしつこいほどにわかるのだろうか。心で13歳の少女を飼っているのか??

 

これをきっかけにキキは魔力を一時的に失い、おそらくこれまで背けてきた自分との対話に強制的に時間を割かないといけなくなる。ここが最大の山場で、魔女のキキ成長ポイント。

 

その時に助言をくれたのは、自由気ままに森で暮らす絵描きのウルスラだった。

 

スランプの抜け出し方について、キキはウルスラへ問う。描いて描いて描きまくる、それでも描けなきゃ?描くのをやめる。何もしないでいるとまた描きたくなるんだ。そんな話をする。まさにメンター。

 

が、実際キキをスランプから救ったのは、他でもない彼女が持てる最大の才能、「人助けの力」だった。運悪く飛行船に宙吊りになったトンボを助けたい。その強烈な思いが彼女の力を甦らせる。

 

結局、どんなに周りに教えを乞うても、最後に自分を救うのは自分自身なのだ。いやもちろん、支えになってくれる人は沢山いたけど、困難にぶつかったら自分で乗り越えるしかない。当たり前だけど。勝手に助かるってやつ。本音は誰かに助けてもらいたい、手を掴んで引っ張り上げて後ろからお尻も押してほしい、でもそれはスランプの抜け出し方の本当のところではないんだと思う。

 

キキに関しても、ウルスラの話は参考程度で、無理に飛んで飛んで飛びまくったり、ボーッとして過ごしたりせずとも、キキはキキにもっとも適切なモチベーションで、自らのピンチを脱する。

 

この物語は、私たちに教えてくれる。

 

「与えよ、さらば与えられん。」

その上で

「自分を救うのは、成長した自分自身である。」

 

かつて一人で暮らしを始めた私へ。落ち込むこともあるけれど、私は元気です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2025年という年

また今年も、今年が終わっていく季節に入った。

 

ひとり、家で井之頭五郎の総集編をぼんやり見ながらカニを食っているうちに、誕生日である大晦日が暮れていた。

 

珍しくひいた風邪のせいで喉が痛く、頂き物のマリアージュフレールの高い紅茶に生姜を大量にブチ込んで風味を台無しにした上で、それをガブガブおかわりしながら行く年のことを考える。

 

年末年始にゆっくり食べようと買い込んだ大量の市販菓子はもう底を尽きるところだ。あると食べてしまうので、まとめ買いに向かない性格を自覚していたのに、この時期だけは避けようがなかった。越後製菓のきな粉もち煎餅?みたいなやつ、あれは一体合法か?美味過ぎて麻薬が入っているのかと思っている刹那に口の中で溶けて一袋全部無くなっていた。知らない人は買って食ってくれ。すごいから。

 

なぜかいつも年の瀬にブログを更新したくなるが、多分ひまなんだな。一年を総括したい気持ちもあるけど、単純にそういうことだと思う。

 

年末にさしかかり、ひまを持て余しはじめたあたりから、よせば良いのに「大豆田とわ子と3人の元夫」を見始めてしまい、安らぎと切なさを同時に摂取する羽目になった。坂元裕二の脚本作品は本当に私の好みのものが多い。経歴を知りたくてググると、東京ラブストーリー坂元裕二だった。歴なが。

 

彼の人格形成においては、大豆田とわ子の3人目の夫、中村慎森のような価値観が結構な影響を及ぼしているような気がしてならない(でないと、あんな脚本にならない)と勝手に思っているが、どうなんだろう。

 

慎森は「自己紹介っていります?雑談ていります?お土産っていります?」とかその事象に遭遇したときに我慢できず正面切って言っちゃうような空気読めない男だが、社交辞令が大嫌いな私にとっては一番共感性の高いキャラクターでもあった。

 

私の理解だが、坂元裕二の脚本は、一見余計な事柄ばかり尺をとって見せてくる上、そこに特に意味を持たなそうなセリフをつらつら重ねている場面が多く、反対に肝心な、物語の転機や核になるレベルの出来事については直接映像で描かれないことが多々、本当に多々ある。

 

でも不思議なことに、この余計な事柄がポツ、ポツと現れ、やがてその点在する無意味なものが何かの輪郭を結び、その中心に核心めいたセリフを携えた本質的な誰かの訴えやら感情やら思いやらがいきなり鮮明に浮かび上がって実体を持ち、こちらの頭にフルスイングで殴りかかってくるような感覚になる、そんなことが大なり小なり何度も起きる。それがおもしろくて何度も見てしまう。

 

また、出てくる人間が皆人間らしく、各々ひとりで抱えるに余りある大きな矛盾を持ちながらなんとか生きているところが描かれるのが好きだ。

 

このドラマに関しては、BAD ENDと解釈している。とわ子は誰からも愛されているようで、満たされているようで、ついに誰かひとりと決めて連れそう相手は見つけられなかった。与えることではなく、とにかく男から受け取ることが女の幸せであるのに、そうするのが良いと頭でわかっているのにそれがうまくできず、それでもそれなりに楽しく生きられてしまう逞しくも悲しい女の話。だけど彼女は彼女からすれば幸せなのだ。よせばいいのに何度も見てしまう。

 

どうでも良いが、地上波のエンディングでKID FRESINOやBIMを起用したのは誰の案だったのか。調べてないのでわからない。

 

とりあえず、年末年始は実家に帰ったほうがいいな。何かと親と意見が合わなかったりでイライラが積もるため避けていたが、ひとりで年末年始を過ごす方がさらにイライラすると気がついた。あいてるところはどこも混むし、すいてそうなとこはあいてないし、気軽に出かけられないからだ。

 

過去の会社で取り引きしていた、仕事に命を捧げるようなタイプのバリキャリ女性(自由業、独身)で、「わたし長期休みがとにかく苦手で!めちゃくちゃ体調悪くなるんですよ!特に年末年始...」とこぼしていた人がいたが、少し気持ちがわかる。私も休むと一気に何もかもダメになることがあり、止まらず働き続けていたほうが調子が良いタイプだと思う。バランス良く、仕事は仕事でがんばり、休みは休みで楽しめた方が絶対に健康的なのだが、昔から色々と極端で、自分で自分の首を絞めているような節はある。

 

どう調整すべきか、39歳になっても未だわからない。

 

今年は、推しに彼氏ができたと思えばその後すぐ破局したり、推しの夫婦ができたと思えば数ヶ月で離婚したり、親戚のおばさんがわらび餅を喉に詰まらせて急逝したり、chatGPTに夜な夜な長文でレスバトルを要求するチャットハラスメント女と化したり、ラブ上等でヤンキー時代を思い出してニヤニヤしたりしてるうちに気づけば暮れようとしている、そんな一年だった。

 

春頃には身体を壊して救命救急へ運ばれ、出血多量により血圧が30くらいに下がって死にかけ、

 

夏には自身の過ちを引き金とした大きなトラブルに見舞われ、過去最大級の仕事における挫折を経験、

 

秋の終わりには思いもよらない方向から石(比喩)が飛んできて脳天を直撃、人生を再構築しなければならなくなり、信頼を超えた依存関係みたいなものに終止符を打つことを決め、

 

冬、それらの後遺症を引きづりながら足早に過ぎゆく時間の尻尾にしがみついているところだ。なんか毎年年末に何かしら起きてバタバタしている気がする。

 

これが大殺界でなくてなんだというのだ?と思いchatGPTに聞けば、大殺界はまだまだ先だよとの返答。じゃあ何殺界?これは。

 

と舌打ちをしつつも、ゆっくりソファに座ってこんな文章を書いている時点で全然悲運の只中という感覚でもなく、

 

いま、何不自由なく生きていることに感謝できるくらいには落ち着いており、心にも時間にも余裕はある。

 

つまり幸せなのだ。私は生きているだけでもともと幸せであり、それは私自身が決めていることで誰にも覆せない事実だ。

 

誰も私を不幸にする力を持っておらず、反対に私のせいで不幸になる人もいない。それがこの世であり、「自分を幸せだと思える人のみが幸せであること」は誰にとっても揺るがない事実であると私は考えている。

 

ただ、自認が幸せかどうかの話と別に、自分の人生がこうなることは、どの地点に立ちかえってもおよそ想像できるものではなかった。

 

その時々で、「これが正解」と思えるものを、一般的な感覚より少し速い速度で選び取ってきた自覚はある。そして一度心に決めたことは、よほどのことがなければ覆さない。

 

が、その時の正解は、数年後の不正解になることが往々にしてある。そうなったときにまたそこで生じる分岐に対して、「こっちが正解」と、まぁまぁの速度で選んでは振り返らずに進む。

 

その結果が今の私を形作っているわけであるが、この時代に産まれくる若者たちが大人になるころには、どんな背景でどんな形に出来上がった人でももっともっと寛容に受け入れてくれる世の中であれよと願う。

 

何年もかけて歪に出来上がった形は、自分で意図して設計していないので、細部まで理解できていないし、またあまり汎用的ではない。

 

なので、新しく交流を広げなければいけないとき、知らない誰かと初めましてと挨拶したあと、「こいつ...モンスターじゃなかろうな?」と怯えながら接しているとき、少し落ち着いて俯瞰で見れば己こそが十分にモンスターであることにも気づかされる。

 

自分はモンスターなのに、モンスターと交流することを避けようとしているとはお笑い種だ。確かSEX AND THE CITYでこんな話あったよな。やはり私たちの経典である。

 

こちらが誰かをジャッジしているとき、相手もしくはその後ろにあるものもまたこちらをジャッジしているのだ。Xでよく聞くあれだな。やはりこれも私たちの経典である。

 

多くの命が生きたり死んだりして輪廻する大きなうねりの中に取り込まれていることは知っているが、個としてはせっかく生まれて生かされているのでもがき苦しみながらも引き続き幸せ自認で我が道を好き勝手に進みたい。大豆田とわ子のように。誰かから見てBAD ENDでも本人がHAPPY ENDならそれでいいのだし、それが全てだし、それ以上もそれ以下もないのだ。

 

が、これからは少し、正解を選ぶことに時間をかけようかとは思う。あとちょっと安定した人生を進みたいと思う。そして、一度決めたことや、言ったことに責任を持ち過ぎず、誰かに指摘されたら「え?そうだったっけ?そん時はそう思ってたのかも!」とケロリと言い放つくらいの適当さを持ちたい。

 

 

来年も良い年になるだろう。

皆さんにとって良い年でありますように。

 

 

 

 

 

 

 

土曜の朝、わざわざ朝ごはんを食べに少し遠出する

勤労感謝の日に早起きをした。

正確には、寝つきの悪い夜の続き。

何度目かの目覚めのタイミングで猛烈な空腹を感じたため、二度寝を諦め、そのまま着替え、日焼け止めだけ顔に塗り、電車に乗り、向かいに座る中学生 (おそらく。大地讃頌を口ずさんでいたから。)の女子3人組を微笑ましく眺めつつ、渋谷にやってきた。

 

前から来たかったパン屋の朝食をいただくために。いわゆるパリのカフェみたいな朝食のスタイルで、いくつかのパンにコーヒーか紅茶がつくようなシンプルなもの。なかなか人気でオープン前から並ばないとたいそう待つことになるらしく、行くタイミングをはかっていたのだった。

9時オープンで、到着は8:50。すでに10組以上並んでいて焦ったが、食べログで席数が50以上あることを確認し、そこまで待つことはないだろうと名簿に名前を書いた。

 

前に並んでいるカップル、男の子はすごく素朴かつ大らかな感じで大阪より多分もっと西の方の訛り。女の子はこの朝イチの時間でも綺麗な巻き髪を揺らしメイクもバッチリで少し雰囲気がアンバランスなカップル。

「ここ気になってたんだけどさ〜、朝まで飲んで9時オープンの店ってちょっと待つの辛いじゃん??なかなか来るタイミングなかったんだよね〜」と嬉々として語るところをみると、女の子は25-6歳か。男の子は「何かわかるわ〜」と優しく相槌を打つ。

多分、男の子の方はそんな風に朝まで飲むような遊び方をするタイプではないのだろう。もしそうなら、「オレもこないだ〇〇と朝まで飲んだ時〜...」と大体話をかぶせてくるはずだが、何度か女子が朝まで飲んだ話を繰り返すなかでそれをしないところを見ると、彼はそういうことをあまりしないのではと予想できた。

こういう2人の会話、どうしても耳に入ってきてしまうが、聞いていると少しソワソワしてしまうのは私だけなのかな。

 

そのほか、1人の女性客もチラホラ、何かスポーツ関係の選手のようないでたちの上京したらしい娘と、帯同している(?)関西弁の母親の2人組、インバウンドの香港の方。多様。全国のみならず世界に愛されるパリの朝食@渋谷。

 

一巡目では名前を呼ばれず、あいた待合の椅子に掛けた。隣の女子二人組は、医療従事者のようで、職場の嫌われ者のお局の話で盛り上がっている。

15-6分待ったところで名前を呼ばれた。席に通されると色とりどりのジャムが瓶のままテーブルに置かれる。

飲み物を先に決めると、パンは順番にお待ちしますとのことで店員さんは一度去った。

隣も女子おひとり様で、食べきれないパンを袋に入れて持ち帰るようだった。そんなにボリュームがあるのかしら、と、無限パン収納胃袋を抱え、腹も胸も踊る。

 

と、目の端に極小さな黒い飛翔体がうつりこむ。コバエだった。こちらに寄ってきたのですかさずおしぼりで討伐する。危ない。ジャムの瓶のフタは全てフルオープンなのだ。ダイブされては私も店も他の客も困る。

彼らにとってここはなんと誘惑の多いことか...目を光らせつつスマホを触っていると、隣の席にパンが配布され始めたタイミングで二匹目が現れた。今度はジャムの瓶にすがりつこうとするので、またおしぼりで討伐する。

焦ってさすがに周りを見渡すも、私のように静かなる殺生を行っている様相の者はいない。会話に花を咲かせるか、スマホを見て優雅にコーヒーをすすっているかだ。あれ、こいつら周りの人のとこにはいないの?みんな見えてないだけ?あ、もしかして私が風呂キャンセルしたから寄ってきてます?でも、あいにくこっちは夜の続きだからさ。風呂はこのあと入る予定なのよ。

誰にともなく言い訳しながら、そういえばパリでは虫を一匹も見なかったことを思い出す。いくらパリジェンヌの朝食スタイルを模倣したシャレ店と言えど、日本のこの高湿環境下においては、冬の始まりであろうともあらゆる小虫がわいてしまう。

更にフランスの植民地だったベトナムホーチミンにて、美しく立ち並ぶパリそのままのようなカフェのうち一軒に入ったときの、じっとりとした湿度とにじむ滝汗、鼻に届いたカビのにおいまでをも鮮やかに思い出した。

変なところで欧州とアジアの間にある越えられない壁を感じていると、私にパンが配布されるタイミングとなった。

 

皆に平等に配布される数種類の地味目なパン4つの他に、クロワッサンやパンオショコラなどいくつかの華やか系のパンから一つ選べということだったので、迷わずクロワッサンを選んだ。デカくてパリっぽくて嬉しい。

 

隣の隣のテーブルでは、あのカップルがダンダダンのターボババアの話で盛り上がっていた。素朴な彼氏は声が大きい。

 

と、どこからか店員さんの声が聞こえる。「こちらおかわり自由です」と。あれ、もしかして地味目パンておかわりできるの??淡い期待と共に、心なしか食べるスピードが早まる。バゲットを高速で咀嚼すると口内壁が攻撃され順調にボロボロになっていくが、構わず食べ続けた。

 

隣には新たな女性客2人組が通された。「私、固定された座席苦手なんだよね」と、あまり聞いたことの無い理由で同行者に上手のソファ席を譲る女性。2人は職場の同僚兼ヲタ仲間のようで、何かのぬいを取り出したりグッズを手渡したりしていた。

はす向かいの席では一巡目で入ったであろう女子2人組が結婚観について熱く語る。たびたび発せられる「わかるー!」に心で相槌を打つ。

それらを横目に、私のパンは美味しいジャムたちとともに瞬く間に消えていった。肝心のクロワッサンはとても大きかったし美味しかったが、冷たくて少し残念だった。

 

パンをそろそろ食べ終わる頃合いにチラチラ周りを見てみたが、パンのおかわりはいかがですかとか言いながら黄金のカゴ(=パン入りバスケット)を待って近づいてくる天使(=店員さん)は現れなかった。先ほど聞こえたのは幻聴だったのか。結論、デフォルトの量のパンでは私には足りなかった。パンて、どれだけ食べても満腹にならないんだね。ふしぎだね。パン。

 

おしぼりには小さな黒い虫の亡骸a.k.a.欧州とアジアの境目が表にも裏にも張り付いていたため、新たなおしぼりをもらい手をふく。

もう行列は解消されたらしく店内は空席が目立っていたが、冷めた飲み物の残りをさっさと飲みきって席を立った。

会計をカードでお願いすると、3,000円以上からでお願いしておりますとのことで、加盟店規約違反だ!!などと悪態はつかず、黙って現金で支払い店を出た。

 

外は晴れていた。己が己のためにおこなう普段の勤労に感謝してみる。そしてこれを読んでるあんたもあんたも偉いよ、労働お疲れ様。そして働いてないあんた、生きることが労働だろう。お疲れ様。美味いもの食ってたくさん寝てまたがんばろうな。

 

Au revoir.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

年の瀬に乳をこねくり回される話

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師走だ。昨年の師走に、全く同じ書き出しで綴ろうとして途中で投げ出した日記の下書きを尻目に、新規作成ボタンを押す。年末はいつも何か書きたくなるようだ。

 

これは特におもしろい話ではない。どちらかといえば気持ち悪い話。乳首が弱い人には、読むことをオススメしない。

 

この12月に入ってからというもの、やたらと乳が張る日々が続いていた。とにかく常に乳が張っている。ぶつかると痛い。概ね原因はわかっていた。毎月の通院が面倒になってオンライン処方に切り替えたため致し方なく飲み始めることになった新しいピル。これまで常用していたものよりホルモン量の少ないそれが、まだ体に馴染んでいないのだろう。

 

キューピーコーワの錠剤を濃いコーヒーとレッドブルで流し込んだあとに即昼寝ができてしまうような身体なのでそんなに繊細なつもりは無かったが、このピルの副作用にどうやらやられているらしい。

 

ピルをやめる選択肢は残念ながらない。血栓症心筋梗塞のリスクが上がると言われようとも、異常な生理周期の乱れと、一瞬ではあれど激しく突き刺すような毎度の生理痛から解放されると思えば受けいれるほかなかった。

1度手指が痺れて恐ろしくなり、完全に禁煙した。これで少しは血管が詰まるリスクも下がっているはず。

 

飲み始めて数カ月はホルモンバランスが安定せず、身体に何かしら変化が起こる場合もあると聞いていた。1シート目は生理がとんで、2シート目は1日で生理が終わるなど少しずつ馴染んできたかな?どうかな?と思ったと同時期にこの乳の痛みが出始めた。

 

最初は気に留めなかった。ホルモンのせいだろうと思った。が、生理がはじまっても終わっても、全く張りがおさまる気配がない。そこで、ちょっと怖くなり病院へ行くことにした。

Google mapを開き、「乳」と検索したが、乳に特化した何かしらのサービスの店などが多数出てきてしまい、違う違うと打ち直す。

こういった場合は乳腺科に行くのが正しいらしいとわかったので、この年の瀬にあいているありがたい病院を探し、予約をした。

 

はじめて乳に関することで病院へかかった。思いの外若くて美しい先生に少し緊張しながら乳を見せ、超音波検査を受ける提案をのむ。

30代なら、よく聞くマンモグラフィというやつでなく超音波でじゅうぶんとのこと。

 

そっか、痛いとウワサのマンモとやらを受けなくてすむのか。少しほっとした。

 

その後、超音波担当の方のもとへ案内された。少し年上の女性が、薄暗い部屋で待っていた。

 

乳を放り出して横になると、何やらあたたかい液体を塗られた。ふむ、ジェルはあっためてから塗ってくれるのか。優しいな。すこし安心したその直後、機械が乳に当てられた。

 

最初は横乳を撫でていた機械が、そのうちに乳首を経由して何度も上下しだした。

真面目な話だが、何というか、あたかも真ん中に何もない、横乳と寸分違わず同じテンションで機械はゴリゴリと上下する。

 

ちょっと伝えるのが難しいが、これがめちゃくちゃにつらかった。すごく痛いわけではない。が、大変気持ち悪い。思い出すだけで吐き気がする。何度も何度も上下する機械。うわーーーーきつい!!!!!早く!!早く終わって!!!と思っていたら、お姉さんの手が止まった。あ、よかった、解放される、と思った瞬間に、今度は機械が左右にゴリゴリ動き出した。

 

信じられない、あんた正気か?その、上下に動かして見えなかったものが左右に動かしたら見えるようになんの???十字移動させないとダメ?私の乳、真ん中って何もついてなかったっけ??え、見えてます?乳首。そんな、何もないていでフラットな面をスライドする感じで動かす???容赦ねぇじゃん。(この辺でちょっと笑ってしまった)

何。乳首ちぎれそう。.........あーはい!!!!!もう取れました!!乳首取れましたね!!!いや感覚あるな?!!大丈夫、取れてないか!!!!え、その動き必要?いやいや、そこさっきもう診たくない?!きつい!!きしょい!!早よ終われ!!と、なかばパニック状態でなんとか最後まで耐えた。

 

乳腺なんてあるからこんなことになる。

生理があるからこんなことになる。

 

難儀だ。そう思いながら、男もちんちんの中に石できたりするんだし、それは大変よな。と思ったりして、

ままならない身体をなんとか現代医学に向き合わせて騙し騙し生きてゆかねばならぬ、人体というバグの塊を呪い、そして同時に生きていることには感謝もしたかったが、全然メンタルがダメでそんなの無理だった。急に横倒しにされたり起こされたり忙しなくこねくられて混乱の渦中にいるであろう乳首を不憫に思い、ただただムカついていた。

 

結局、くまなく診てもらったが何もないねということでおそらくピルの安定待ちだろうという当初の想定通りの結論にて診療は終わった。ホルモンホルモン。年々ホルモンの偉大さについて考える機会が増えている。

 

なんなら現状すこしの不正出血も起きており(ピルの飲み忘れではない)、数年前にじーちゃんが死んだ年末を思い出した。

 

当時私はことあるごとに不正出血に見舞われ、そのたびに過労だと診断されてはうんざりしていた。

その年末、じいちゃんが最期を迎えようとしていた病院の婦人科で、ついでに不正出血を診てもらったら「あー、もうね、これ疲れだよ、疲れ。いまみーんな不正出血でここ来てんの。年末でみんな疲れてんのよ。不正出血祭り。」と、田舎特有のぶっきらぼうな看護師に聞かされた世にも恐ろしい祭りの記憶も、このタイミングで蘇った。

 

あれ以来だから、実に約10年ぶりか。年末不正出血大サービス・ホルモン乱れ感謝祭を一人で開催している。

 

自分の身体というのは、付き合えば付き合うほどにわからなく、わかったと思えばすぐにわからなくなる。

 

が、気持ち悪い思いや痛い思いをしても、数時間もたてばケロリとして飯を食って血をせっせと作っているのも確か。強かなものです。

 

お前も俺も、これからもこの身体とうまいことやっていこう。そして2024年も、楽しくやろう。

 

 

GWが終わってしまう前に

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GWが終わってしまう。

 

自粛期間だったおかげでどこへ行くでもなく、

アプリゲームのイベントを走るかたわら、

コロナがなければ現地幕張メッセへ行くはずだったアイドルのライブ配信をニコ生で見つつ、

自宅で悔し泣きしながら飲酒しつつペンライトとうちわを振り、

ニコ生のコメントを書き込みながら承認欲求を満たし、

合間に推しのDVDを買い、鑑賞しながら感動して泣き、

シン・エヴァについて友人と語り合った音声に手を加えyoutubeに公開し、

新しく発見したWeb漫画を爆速で読んでは感動して泣き、

それでもお行儀よくステイホームしすぎて運動不足になっては本当に命の危険があると思い、

Spotifyのお気に入りコンテンツを1.5倍速で聴きながら1日30分〜1時間ほど散歩をして、

数万年ぶりに飯を作り、時たまUbereatsを呼び、運んでいただいた飯をありがたく食べ、

風呂掃除用の洗剤がなかったので代わりにトイレ用の洗剤で風呂掃除をするなどしていたら、GWは瞬く間に過ぎていった。

 

こうして書き出してみると、まったく何もしていないように感じていた割に結構いろいろしていて引いてしまった。タスク過多だったな。ジャンルごとに細分化されたオタ友たちとのLINEグループ、3つほど返信が滞っているスレッドがあり、休み中に絶対返信しようと思っていたが、後日にまわしたのは英断だった。

 

そして今しがた。休み最終日は、翌日からクソ早起きをして仕事に行かねばならないのが悔しくて悔しくて、夜20時頃から一人でぼーっと過ごしていた。

 

が、このまま静かに終わるGWがあまりにも、あまりにも名残惜し過ぎて、日付が変わる少し前、コンビニへ行く決意をした。

 

スイーツを買うために。

 

夜飯を食うタイミングを失っていたし、そのまま寝ても良かった。

 

が、どうにも悔しくて、最終日の夜を締め括るために絶対に休みっぽくて体に良くないことをしたかった。

 

連休中、Ubereatsに頼り過ぎては家計が死ぬよね、ということで一念発起して作った煮込み料理も鍋に残したまま。いいのだ。私は今、煮込みでなく雑なコンビニスイーツが食いたいんだ。

 

部屋着から、しばらく着る機会のなかった外出用パンツに履き替えたところで、違和感。腰回りが明らかに、これまで感じたことがないほどのキツさ。

 

太った?毎日散歩して手作り料理も食べてたのに?クソがよ!!!!!!

 

 

憤り。呆れ、悔しさ。虚しさ。それらを引っ提げ、感情の整理もままならず、世の中を睨みつけるようにしながらコンビニへ向かう。

 

冷たいスイーツのラックから、4つ入りのワッフルを掴んだ。レジへ向かう途中、糖質OFFのドーナツと目が合う。何が糖質OFFじゃ。もうここまできたら、今ここでする小さな我慢など、何の足しにもならんわ!!

 

そう思ったけど、煮え切らず、糖質OFFドーナツとワッフルを両方買った。帰宅して、混乱し、両方食った。たまに、いや、結構な頻度で、私は自分という人間のことがよくわからなくなる。

 

いや、自我など、自分などこの世にそもそも存在しない。空の思想、大乗仏教の教え、密教について.........この連休中に聴いたSpotifyの内容が蘇る。ワッフルもドーナツもこの世に存在しないし、それを食べた私も存在しない。

 

目を逸らさずに現実に向きなおれば、事実としてはただただ無駄にカロリーを摂取しただけだが、気持ちは少し満たされた。

もう寝る。5/6(木)から仕事のみんな、がんばろうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日記

私には、中学1年からの付き合いになる大切な友人がいる。  

 

彼女と私は、中学の3年間に加え卒業後も同じ学校へと進み、部活もバイト先も何から何までずっと一緒だった。休みの日も一緒に出かけ、毎日同じクラスで顔を合わせていたのに、長電話もメールもしょっちゅうするほどには親しくしていた。  

 

彼女は成績優秀で努力家だった。彼女がまだ小さい時に夫を亡くし、たった1人で彼女と彼女の兄を育てていた母親に少しでも負担をかけないようにと、テストの成績で判定される厳しい学費免除の条件を卒業までクリアし続け、学生生活の間はアルバイト代の何割かを欠かさず家計に入れ続けていた。それでも弱音一つ吐かず、いつも明るく冗談ばかり言っている彼女を、私は尊敬していた。私も、辛くてもしんどくても大概冗談ばかり言って楽になりたいタイプなので、彼女はどんな時でも冗談で話が通じる貴重な相手でもあった。  

 

「自分のことを知っている人が誰もいない場所で暮らしたい」と言った彼女は、卒業後、地元から離れた大企業への就職を決めた。 そこで、年上のご主人と出会った。海の見える場所で、素敵な結婚式を挙げた。一人で自分を育ててくれたお母さんへの感謝の手紙を読み上げる際、我慢強く逞しい彼女が初めて人前で泣くのを見た。 数年後、男の子が一人生まれた。彼女に似て賢いその子は、あっという間に小学生になった。  

 

彼女と私は、中学の時から毎年欠かさずお互いの誕生日にプレゼントを贈り合っている。なんとなく、「おばあちゃんになるまで続けよう」と話したりしていた。 離れて暮らしていても、郵送で送り合って、最近では私が彼女の家の近場に引っ越してきたこともあり、会って手渡しするようになっていた。

それが先日、私へのプレゼントが数ヶ月遅れて届いた。プレゼント交換が習慣化してから初めてのことだった。LINEで「ずっと渡せてなくてごめんね」と言われ、もちろんそんなことは全く気にしないでくれ、と伝えていたが、彼女にしてはとても珍しいことだったから、少しだけ、何かあったのではと気になった。しかしきっとよほど仕事や育児が忙しいのだろう、と思い、こちらから連絡するのは控えていた。  

 

プレゼント到着から数日後、LINEで突然、ご主人が亡くなったと知らされた。 数年ものあいだ、重い病と闘っていたとのことだった。その日まで、私も他の友人も、誰も何も聞かされていなかった。 ショックで、言葉を失った。治ることを願っていたし、何て言えば良いかわからなかったから、何も言えなかったと告げられた。 こちらはと言えば、まず状況を飲み込むのが精一杯で、何かできることがあれば言ってね、と伝えるのがやっとだった。

思い返せばここ数年、ご主人の姿を見ていなかった。帰省時に会うのも彼女と息子だけだった。が、何も、少しも、一切、気がつけなかった。  

 

葬儀の日程表をもらい、喪主欄に彼女の名前をみとめ、胸が苦しくなった。 私の親世代ですら、夫の喪主をつとめるなんて話、まだ滅多に聞かない。辛すぎる。 彼女の身の回りでおそらく唯一、夫の喪主の経験者といえば、彼女の母親なのだ。こんなことってあるのか。  

 

どんな顔で会いに行けばいいのか。どんな言葉をかけたらいいのか。まるでわからなかった。 息子はまだ小さく、同居しているご主人の父母は高齢だ。背負うものが大き過ぎる。近くに彼女の親類は住んでいないはずだ。誰か頼れる人はいるのか。私は近くにいるけれど、果たして何ができるだろう。彼女が聞いてほしい話を、聞いてほしいタイミングで聞く、そんな類のこと以外、何の力にもなれないのは明白だ。彼女の人生において、私はあまりにも無力だ。そんな風に、力になりたい気持ちが湧くのと同時に、力になれない事実に気づいて、何とも言えない気分になった。  

 

色々考えて、胃がどんどん重たくなった。が、誰より辛いのは遺族である彼女であり、部外者の私が傷ついたり泣いてしまうのはおかしな話だと思って、こらえた。  

 

新型肺炎の影響で、告別式は家族葬になるとのことだったので、通夜に参列させてもらうことにした。 当日は、通夜会場に収まらないほど大勢の弔問客が詰めかけていた。亡くなったご主人は大きな企業の上級職だったために、会社の役員や同僚であろうと思われる年配の人たちの姿が多く見えた。  

 

彼女は、息子と最前の遺族席に座っていた。誰かが焼香するたびに、ぺこりと頭を下げ続けている。喪主は通夜の締めに挨拶をしなければならない。少しでも気持ちを乱してしまってはいけないと思い、見たら泣いてしまいそうだったのもあるが、焼香の時にはあまり彼女の方を見ないようにした。  

 

焼香が終わり、喪主の挨拶の段になった。 会場内に人が入り切らないので、会場の外でマイク越しに音声を聞くことになった。  

 

彼女が人前で泣く声を聞いたのは、10数年前の当人の結婚式以来だった。  

 

あの時と全く同じように、大勢の参列者を前にし、声を詰まらせながら自分の書いた文字を読み上げている。しかし、会場にはあの時のようなあたたかい空気も笑顔もなく、皆黒い服をまとい、彼女の震える肩を支える優しい人の姿もない。

「人生これからというときに」

「突然一家の大黒柱になって、正直不安で一杯です」

そんな言葉が聞こえた。 会場の中を覗こうと思えばできたけれど、私は彼女の声を聞くのが精一杯で、その姿をきちんと見ることがどうしてもできなかった。  

 

式が終わり、彼女の母親とお兄さんに挨拶しなければと思った。二人とは面識もあるし、彼女とは遠く離れて暮らしているため「私が近くにいますから」と伝えて、少しでも安心してもらえたらと思った。が、姿が見えない。  

 

帰る弔問客と、ご遺体の顔を拝んでいる人たちの相手をしていた彼女が、合間を見て近づいてきてくれた。ごめんね。わざわざごめんね。言えなくてごめんね。と謝りながら、彼女は泣いた。こらえていたが、私もつられて泣いた。何か言おうとしたが、うまく言葉が出ず、「大丈夫?」と、大丈夫なわけがない相手に、思わず言ってしまった。うんうん、と頷く彼女を見て、二の句が告げなかった。  

 

大変だったね、辛かったねとか言うのは、何となく、避けた方がいいように感じて、そんな風には言わなかった。

ご主人の病気の仔細も、どんな闘病生活を送って最期がどうだったのか、そんなことも、聞かなかった。彼女が話したい時に話してくれたらいいし、話したくなければ一生話さないでくれたらいい。 彼女の辛さは、どう転んでも彼女にしかわからないし、こちらから色々と聞き出して、その時の辛さを思い出させた挙句、悲しんでいる人の心情を想像したり決めつけて同情したり、なだめたりするなんておこがましい。そう思った。  

 

とにかく、ご飯を食べて、寝られるだけ寝てくれたらいいな、と、それだけが心配だった。喪が明けたら、仕事に行かなければならないだろう。件の騒ぎのおかげで、学童のための弁当も毎日作らなければという話を先日聞いていた。いつも通りの日常が否応なしに戻ってきてしまうのだろうか。彼女はどこまで逞しくならなければいけないのか。もういいだろう。どこにもぶつけようのない憤りを感じ、姿の見えない何かを呪おうとした。だけど何度も言うように、私は悲しいほど部外者で、彼女に共感することすらもおこがましいはずなのだ。辛かったねと一緒に悲しむ権利すら、持っていない。どれだけ辛いか、考えたところでそれは少しも想像の域を出ず、ほんの1mmでもわかってあげることなどできない。それがどれだけ長い時間一緒に過ごした大切な友人であってもだ。それを簡単に悲しんだりしてしまうことは、この上なく失礼な気がした。  

 

そしてその姿の見えない何かを、ただ「運命だ」と片付けるには、あまりにも目の前の現実と乖離しているように思えて、どこまで考えを巡らせても違和感しか生まれず、いつまでもいつまでも、全くしっくりこなかった。この気持ちは、言語化するには至らない。この先もずっとそうだろう。だから、言語化できない何か、とだけ残しておきたいと思った。  

 

彼女にやっとのことでいつでも連絡してねと伝え、お母さんたちは?と聞くと、新型肺炎のこともあるから、参列は遠慮してもらった、とのことだった。 そうか。お母さんもお兄さんも、長時間公共交通機関を使わなければこちらへは来られない。葬儀の期間、彼女の実の家族が彼女の近くにいたら、少しは安心できるのではないかと思っていたのに。ウイルスのクソが。滅びろ。  

 

彼女の息子にも声をかけた。彼とは、前回のゴールデンウイークに会った以来だった。 「久しぶりだね!」と声をかけたら、「誰だっけ?」と返され、その様子を見た彼女はケラケラ笑っていた。  

 

時たま喪主様!と、葬儀社の人に呼ばれたりまだ残っている人の相手をしたり慌ただしそうだったので、邪魔してはいけないと思い、帰ることにした。ありがとう、と言われて、落ち着いたら会おうね、とだけ言って別れた。  

 

喪主様ってなんなんだよ。なんで大事な人を亡くして辛い思いしてる人に仕事を与えるんだ?一体どういう神経してるんだ。かねてからモヤモヤしていたこの謎のルールについて改めて恨めしく思いながら、それを気丈にこなす彼女を尊敬しつつ、また胸が苦しくなった。  

 

万人に弱音を吐く場所が必要かどうかはわからない。弱音を吐かないことで生きやすくなるタイプの人間がいることも知っている。  

 

だけど、身の回りのそういう人が、どうにも自分で処理できない感情に支配されそうになったら、その時には良ければ声をかけてほしいと思う。助けになれる見込みはない。辛さのほんの一部分でさえ、私が引き受けることはできないけど、辛かったことについて直接話さずとも、何かを話したり伝えたりすることで、少しでも気が楽になりそうなら、そういう時には迷わず頼ってほしい、とそれだけを考えている。忍野メメではないが、人は一人で勝手に助かるだけ、だから力を貸すことは出来るけど助けることは出来ない、みたいな話だ。  

 

まとまらないが、自分の気持ちを整理するために、書きたいことを書いた。少し落ち着いたが、それでもまだ整理はつかない。  

 

その事実も、そのままここに残しておく。        

有名人が死んだ時にだけ沸いてくる評論家の何が悪い

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さくらももこが死んだ。

 

大変悲しい。悲しいという言葉では全然足りないくらい悲しい。

 

有名人が死んだら、急にその人のことをしたり顔で語り出す人がいる。SNSとかで。

 

私はそれが結構好き。へーこんな逸話があったのか、とか、なるほど、この人が関わったこの作品はこういう解釈ができるのか。とか、twitterなら更にぶら下がっているリプを読んで、これは真偽が微妙だなとか、ああこんな裏付けがあるのか、とか、色々思いを巡らすのも、好き。

 

あとは、ただただ故人に対する個人的な感情を垂れ流してるのも好き。わかるよ、あるよね思い出、語りたいよな、と理解し共感できることが多い。

 

さくらももこの話に戻るけど、多くの人にとってそうであったらしいように、私にとってもさくらももこは、あらゆる面で多大な影響を与えてくれた人。だから訃報にびっくりしたし、悲しかった。と共に、色々思い出したので、特に内容の無いメモだけど、みんなと同じように思い出を書いてみた。

 

漫画もアニメも好きだが、一番はエッセイ。小学校の頃、入院していた時期があり、そのとき母親が持ってきてくれた何冊かの本の中にさくらももこのエッセイがあった。難しい言葉は一つもなく、全体がリラックスした文体で、水を飲むようにさらさらと読めた。

 

ちびまる子ちゃんは好きだけど、あの人文章も書くのか。いいな。こういうの書けて暮らせたら楽しそう。もともと作文が好きだったので、感化され、入院中の出来事を文章にしてみたりもした。それで、リラックスした状態で読めるリラックスした文章を書けるのって才能なんだな。と感じた記憶がある。

 

退院してからも自宅にあったさくらももこの本を読み漁った。さるのこしかけ、もものかんづめ、あのころ、まるこだった、ももこの話。。。

 

特に、ももこの世界あっちこっちめぐりという本は何度も何度も読み返した。

 

さくらももこが雑誌の企画で世界各国を旅し、そのレポを写真と共にまとめた本。

 

特にフランスとイタリア、インドネシアの回が良い。フランスは、核実験をしたあとだったからかなり印象悪かったけどある目的を達成したいからと渋々行くことにした、みたいな導入で、そういういちいち批判的だったり懐疑的だったりするところや、それをストレートに伝える彼女のスタイルも好き。

 

フランスではピエールラニエというメーカーの時計を、イタリアでは高価なベネチアングラスなんかをとにかく買いまくるんだけど、その話と綺麗な購入品の写真のページを穴があくほど見た。自分で稼いで自分の好きなものを買う大人に憧れ、早く自分の稼いだ金で海外というものに行きてぇ、と強く思った。

 

インドネシアでは、山奥の集落にものすごい絵のうまい人達が住んでいるという情報を聞きつけ、訪ねて行ってアリミニさんという女性の絵を買うのだが、写真で見たその絵がめちゃくちゃに素敵で、そのページは色が剥がれるほど見た。世の中には知らんことが、知らん人が、知らん物がいっぱいだ。

 

で、大人になって、自分の金でフランスとイタリアに行った。ベネチアングラスもこの目で見た。とても手は出なかったけど、あの頃の、稼いで海外行きたいという夢を実現できただけで幸せだった。

 

小学校の時、私は入院するのが大好きだった。具合は悪くても、誰からも文句を言われずに大嫌いな学校を公に休めるなんて幸せすぎるし、永遠に入院していたいと常に思っており、退院が決まると鬱になっていた。今だって小学校時代以上に毎日休みたい。怠惰なまる子は、風邪で学校を休んだ日がいかに天国かというのを再認識させてくれた。休みたいでしょ、みんな。と、特にあてどころのないようなメッセージをふわふわ撒いてくれた。

 

当時は世の大人から批判とかあったのかな、とふと思う。だとしても、大人が力を集結させて世に出した作品の中から、ダラダラしたいとかサボりたいとかの感覚を持つのは子供だって大人だってよくあることだろうが、ってメッセージを勝手に感じて受け取って、少なくとも当時の私は大いに安心できた。

 

あとはいきもの図鑑も大好き。当時この本を読み、まだ見ぬゴキブリという虫に思いを馳せていた。漫画ならちびまるこちゃん番外編みたいなやつで、成長したももこが初めてディスコに行く話が好き。コジコジも好き。

 

装丁という言葉も、電グルも、ハレクラニのクロワッサンも、ちあきなおみも、紹興酒に砂糖を入れると美味いらしいことも、オランダでは安楽死が認められてることも、全部さくらももこの本から覚えた。エッセイのヒロシの替え歌の回は息が止まるほど笑った。タバコは百害あって一利無しとか酷い言われようだけど、「何もしてない人」が「タバコ吸ってる人」に変身できる点だけをとってみても既に一利以上あるだろうが。みたいな話も好きだった。

 

色々思い出して脈絡無く書いてスッキリした。文章を書くことの良さも勝手に教わった気でいる。帰省時にまた彼女の本を読み返したい。

 

・このブログの本題、食べ物について

最近我が家で宅配弁当サービスを利用し始めたために毎回同じ内容になりそうなので一旦やめてますが、弁当以外の日の記事はまた書きたいです。