ぽめぇの暮らし

生きています

日記

私には、中学1年からの付き合いになる大切な友人がいる。  

 

彼女と私は、中学の3年間に加え卒業後も同じ学校へと進み、部活もバイト先も何から何までずっと一緒だった。休みの日も一緒に出かけ、毎日同じクラスで顔を合わせていたのに、長電話もメールもしょっちゅうするほどには親しくしていた。  

 

彼女は成績優秀で努力家だった。彼女がまだ小さい時に夫を亡くし、たった1人で彼女と彼女の兄を育てていた母親に少しでも負担をかけないようにと、テストの成績で判定される厳しい学費免除の条件を卒業までクリアし続け、学生生活の間はアルバイト代の何割かを欠かさず家計に入れ続けていた。それでも弱音一つ吐かず、いつも明るく冗談ばかり言っている彼女を、私は尊敬していた。私も、辛くてもしんどくても大概冗談ばかり言って楽になりたいタイプなので、彼女はどんな時でも冗談で話が通じる貴重な相手でもあった。  

 

「自分のことを知っている人が誰もいない場所で暮らしたい」と言った彼女は、卒業後、地元から離れた大企業への就職を決めた。 そこで、年上のご主人と出会った。海の見える場所で、素敵な結婚式を挙げた。一人で自分を育ててくれたお母さんへの感謝の手紙を読み上げる際、我慢強く逞しい彼女が初めて人前で泣くのを見た。 数年後、男の子が一人生まれた。彼女に似て賢いその子は、あっという間に小学生になった。  

 

彼女と私は、中学の時から毎年欠かさずお互いの誕生日にプレゼントを贈り合っている。なんとなく、「おばあちゃんになるまで続けよう」と話したりしていた。 離れて暮らしていても、郵送で送り合って、最近では私が彼女の家の近場に引っ越してきたこともあり、会って手渡しするようになっていた。

それが先日、私へのプレゼントが数ヶ月遅れて届いた。プレゼント交換が習慣化してから初めてのことだった。LINEで「ずっと渡せてなくてごめんね」と言われ、もちろんそんなことは全く気にしないでくれ、と伝えていたが、彼女にしてはとても珍しいことだったから、少しだけ、何かあったのではと気になった。しかしきっとよほど仕事や育児が忙しいのだろう、と思い、こちらから連絡するのは控えていた。  

 

プレゼント到着から数日後、LINEで突然、ご主人が亡くなったと知らされた。 数年ものあいだ、重い病と闘っていたとのことだった。その日まで、私も他の友人も、誰も何も聞かされていなかった。 ショックで、言葉を失った。治ることを願っていたし、何て言えば良いかわからなかったから、何も言えなかったと告げられた。 こちらはと言えば、まず状況を飲み込むのが精一杯で、何かできることがあれば言ってね、と伝えるのがやっとだった。

思い返せばここ数年、ご主人の姿を見ていなかった。帰省時に会うのも彼女と息子だけだった。が、何も、少しも、一切、気がつけなかった。  

 

葬儀の日程表をもらい、喪主欄に彼女の名前をみとめ、胸が苦しくなった。 私の親世代ですら、夫の喪主をつとめるなんて話、まだ滅多に聞かない。辛すぎる。 彼女の身の回りでおそらく唯一、夫の喪主の経験者といえば、彼女の母親なのだ。こんなことってあるのか。  

 

どんな顔で会いに行けばいいのか。どんな言葉をかけたらいいのか。まるでわからなかった。 息子はまだ小さく、同居しているご主人の父母は高齢だ。背負うものが大き過ぎる。近くに彼女の親類は住んでいないはずだ。誰か頼れる人はいるのか。私は近くにいるけれど、果たして何ができるだろう。彼女が聞いてほしい話を、聞いてほしいタイミングで聞く、そんな類のこと以外、何の力にもなれないのは明白だ。彼女の人生において、私はあまりにも無力だ。そんな風に、力になりたい気持ちが湧くのと同時に、力になれない事実に気づいて、何とも言えない気分になった。  

 

色々考えて、胃がどんどん重たくなった。が、誰より辛いのは遺族である彼女であり、部外者の私が傷ついたり泣いてしまうのはおかしな話だと思って、こらえた。  

 

新型肺炎の影響で、告別式は家族葬になるとのことだったので、通夜に参列させてもらうことにした。 当日は、通夜会場に収まらないほど大勢の弔問客が詰めかけていた。亡くなったご主人は大きな企業の上級職だったために、会社の役員や同僚であろうと思われる年配の人たちの姿が多く見えた。  

 

彼女は、息子と最前の遺族席に座っていた。誰かが焼香するたびに、ぺこりと頭を下げ続けている。喪主は通夜の締めに挨拶をしなければならない。少しでも気持ちを乱してしまってはいけないと思い、見たら泣いてしまいそうだったのもあるが、焼香の時にはあまり彼女の方を見ないようにした。  

 

焼香が終わり、喪主の挨拶の段になった。 会場内に人が入り切らないので、会場の外でマイク越しに音声を聞くことになった。  

 

彼女が人前で泣く声を聞いたのは、10数年前の当人の結婚式以来だった。  

 

あの時と全く同じように、大勢の参列者を前にし、声を詰まらせながら自分の書いた文字を読み上げている。しかし、会場にはあの時のようなあたたかい空気も笑顔もなく、皆黒い服をまとい、彼女の震える肩を支える優しい人の姿もない。

「人生これからというときに」

「突然一家の大黒柱になって、正直不安で一杯です」

そんな言葉が聞こえた。 会場の中を覗こうと思えばできたけれど、私は彼女の声を聞くのが精一杯で、その姿をきちんと見ることがどうしてもできなかった。  

 

式が終わり、彼女の母親とお兄さんに挨拶しなければと思った。二人とは面識もあるし、彼女とは遠く離れて暮らしているため「私が近くにいますから」と伝えて、少しでも安心してもらえたらと思った。が、姿が見えない。  

 

帰る弔問客と、ご遺体の顔を拝んでいる人たちの相手をしていた彼女が、合間を見て近づいてきてくれた。ごめんね。わざわざごめんね。言えなくてごめんね。と謝りながら、彼女は泣いた。こらえていたが、私もつられて泣いた。何か言おうとしたが、うまく言葉が出ず、「大丈夫?」と、大丈夫なわけがない相手に、思わず言ってしまった。うんうん、と頷く彼女を見て、二の句が告げなかった。  

 

大変だったね、辛かったねとか言うのは、何となく、避けた方がいいように感じて、そんな風には言わなかった。

ご主人の病気の仔細も、どんな闘病生活を送って最期がどうだったのか、そんなことも、聞かなかった。彼女が話したい時に話してくれたらいいし、話したくなければ一生話さないでくれたらいい。 彼女の辛さは、どう転んでも彼女にしかわからないし、こちらから色々と聞き出して、その時の辛さを思い出させた挙句、悲しんでいる人の心情を想像したり決めつけて同情したり、なだめたりするなんておこがましい。そう思った。  

 

とにかく、ご飯を食べて、寝られるだけ寝てくれたらいいな、と、それだけが心配だった。喪が明けたら、仕事に行かなければならないだろう。件の騒ぎのおかげで、学童のための弁当も毎日作らなければという話を先日聞いていた。いつも通りの日常が否応なしに戻ってきてしまうのだろうか。彼女はどこまで逞しくならなければいけないのか。もういいだろう。どこにもぶつけようのない憤りを感じ、姿の見えない何かを呪おうとした。だけど何度も言うように、私は悲しいほど部外者で、彼女に共感することすらもおこがましいはずなのだ。辛かったねと一緒に悲しむ権利すら、持っていない。どれだけ辛いか、考えたところでそれは少しも想像の域を出ず、ほんの1mmでもわかってあげることなどできない。それがどれだけ長い時間一緒に過ごした大切な友人であってもだ。それを簡単に悲しんだりしてしまうことは、この上なく失礼な気がした。  

 

そしてその姿の見えない何かを、ただ「運命だ」と片付けるには、あまりにも目の前の現実と乖離しているように思えて、どこまで考えを巡らせても違和感しか生まれず、いつまでもいつまでも、全くしっくりこなかった。この気持ちは、言語化するには至らない。この先もずっとそうだろう。だから、言語化できない何か、とだけ残しておきたいと思った。  

 

彼女にやっとのことでいつでも連絡してねと伝え、お母さんたちは?と聞くと、新型肺炎のこともあるから、参列は遠慮してもらった、とのことだった。 そうか。お母さんもお兄さんも、長時間公共交通機関を使わなければこちらへは来られない。葬儀の期間、彼女の実の家族が彼女の近くにいたら、少しは安心できるのではないかと思っていたのに。ウイルスのクソが。滅びろ。  

 

彼女の息子にも声をかけた。彼とは、前回のゴールデンウイークに会った以来だった。 「久しぶりだね!」と声をかけたら、「誰だっけ?」と返され、その様子を見た彼女はケラケラ笑っていた。  

 

時たま喪主様!と、葬儀社の人に呼ばれたりまだ残っている人の相手をしたり慌ただしそうだったので、邪魔してはいけないと思い、帰ることにした。ありがとう、と言われて、落ち着いたら会おうね、とだけ言って別れた。  

 

喪主様ってなんなんだよ。なんで大事な人を亡くして辛い思いしてる人に仕事を与えるんだ?一体どういう神経してるんだ。かねてからモヤモヤしていたこの謎のルールについて改めて恨めしく思いながら、それを気丈にこなす彼女を尊敬しつつ、また胸が苦しくなった。  

 

万人に弱音を吐く場所が必要かどうかはわからない。弱音を吐かないことで生きやすくなるタイプの人間がいることも知っている。  

 

だけど、身の回りのそういう人が、どうにも自分で処理できない感情に支配されそうになったら、その時には良ければ声をかけてほしいと思う。助けになれる見込みはない。辛さのほんの一部分でさえ、私が引き受けることはできないけど、辛かったことについて直接話さずとも、何かを話したり伝えたりすることで、少しでも気が楽になりそうなら、そういう時には迷わず頼ってほしい、とそれだけを考えている。忍野メメではないが、人は一人で勝手に助かるだけ、だから力を貸すことは出来るけど助けることは出来ない、みたいな話だ。  

 

まとまらないが、自分の気持ちを整理するために、書きたいことを書いた。少し落ち着いたが、それでもまだ整理はつかない。  

 

その事実も、そのままここに残しておく。