ぽめぇの暮らし

生きています

年の瀬に乳をこねくり回される話

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師走だ。昨年の師走に、全く同じ書き出しで綴ろうとして途中で投げ出した日記の下書きを尻目に、新規作成ボタンを押す。年末はいつも何か書きたくなるようだ。

 

これは特におもしろい話ではない。どちらかといえば気持ち悪い話。乳首が弱い人には、読むことをオススメしない。

 

この12月に入ってからというもの、やたらと乳が張る日々が続いていた。とにかく常に乳が張っている。ぶつかると痛い。概ね原因はわかっていた。毎月の通院が面倒になってオンライン処方に切り替えたため致し方なく飲み始めることになった新しいピル。これまで常用していたものよりホルモン量の少ないそれが、まだ体に馴染んでいないのだろう。

 

キューピーコーワの錠剤を濃いコーヒーとレッドブルで流し込んだあとに即昼寝ができてしまうような身体なのでそんなに繊細なつもりは無かったが、このピルの副作用にどうやらやられているらしい。

 

ピルをやめる選択肢は残念ながらない。血栓症心筋梗塞のリスクが上がると言われようとも、異常な生理周期の乱れと、一瞬ではあれど激しく突き刺すような毎度の生理痛から解放されると思えば受けいれるほかなかった。

1度手指が痺れて恐ろしくなり、完全に禁煙した。これで少しは血管が詰まるリスクも下がっているはず。

 

飲み始めて数カ月はホルモンバランスが安定せず、身体に何かしら変化が起こる場合もあると聞いていた。1シート目は生理がとんで、2シート目は1日で生理が終わるなど少しずつ馴染んできたかな?どうかな?と思ったと同時期にこの乳の痛みが出始めた。

 

最初は気に留めなかった。ホルモンのせいだろうと思った。が、生理がはじまっても終わっても、全く張りがおさまる気配がない。そこで、ちょっと怖くなり病院へ行くことにした。

Google mapを開き、「乳」と検索したが、乳に特化した何かしらのサービスの店などが多数出てきてしまい、違う違うと打ち直す。

こういった場合は乳腺科に行くのが正しいらしいとわかったので、この年の瀬にあいているありがたい病院を探し、予約をした。

 

はじめて乳に関することで病院へかかった。思いの外若くて美しい先生に少し緊張しながら乳を見せ、超音波検査を受ける提案をのむ。

30代なら、よく聞くマンモグラフィというやつでなく超音波でじゅうぶんとのこと。

 

そっか、痛いとウワサのマンモとやらを受けなくてすむのか。少しほっとした。

 

その後、超音波担当の方のもとへ案内された。少し年上の女性が、薄暗い部屋で待っていた。

 

乳を放り出して横になると、何やらあたたかい液体を塗られた。ふむ、ジェルはあっためてから塗ってくれるのか。優しいな。すこし安心したその直後、機械が乳に当てられた。

 

最初は横乳を撫でていた機械が、そのうちに乳首を経由して何度も上下しだした。

真面目な話だが、何というか、あたかも真ん中に何もない、横乳と寸分違わず同じテンションで機械はゴリゴリと上下する。

 

ちょっと伝えるのが難しいが、これがめちゃくちゃにつらかった。すごく痛いわけではない。が、大変気持ち悪い。思い出すだけで吐き気がする。何度も何度も上下する機械。うわーーーーきつい!!!!!早く!!早く終わって!!!と思っていたら、お姉さんの手が止まった。あ、よかった、解放される、と思った瞬間に、今度は機械が左右にゴリゴリ動き出した。

 

信じられない、あんた正気か?その、上下に動かして見えなかったものが左右に動かしたら見えるようになんの???十字移動させないとダメ?私の乳、真ん中って何もついてなかったっけ??え、見えてます?乳首。そんな、何もないていでフラットな面をスライドする感じで動かす???容赦ねぇじゃん。(この辺でちょっと笑ってしまった)

何。乳首ちぎれそう。.........あーはい!!!!!もう取れました!!乳首取れましたね!!!いや感覚あるな?!!大丈夫、取れてないか!!!!え、その動き必要?いやいや、そこさっきもう診たくない?!きつい!!きしょい!!早よ終われ!!と、なかばパニック状態でなんとか最後まで耐えた。

 

乳腺なんてあるからこんなことになる。

生理があるからこんなことになる。

 

難儀だ。そう思いながら、男もちんちんの中に石できたりするんだし、それは大変よな。と思ったりして、

ままならない身体をなんとか現代医学に向き合わせて騙し騙し生きてゆかねばならぬ、人体というバグの塊を呪い、そして同時に生きていることには感謝もしたかったが、全然メンタルがダメでそんなの無理だった。急に横倒しにされたり起こされたり忙しなくこねくられて混乱の渦中にいるであろう乳首を不憫に思い、ただただムカついていた。

 

結局、くまなく診てもらったが何もないねということでおそらくピルの安定待ちだろうという当初の想定通りの結論にて診療は終わった。ホルモンホルモン。年々ホルモンの偉大さについて考える機会が増えている。

 

なんなら現状すこしの不正出血も起きており(ピルの飲み忘れではない)、数年前にじーちゃんが死んだ年末を思い出した。

 

当時私はことあるごとに不正出血に見舞われ、そのたびに過労だと診断されてはうんざりしていた。

その年末、じいちゃんが最期を迎えようとしていた病院の婦人科で、ついでに不正出血を診てもらったら「あー、もうね、これ疲れだよ、疲れ。いまみーんな不正出血でここ来てんの。年末でみんな疲れてんのよ。不正出血祭り。」と、田舎特有のぶっきらぼうな看護師に聞かされた世にも恐ろしい祭りの記憶も、このタイミングで蘇った。

 

あれ以来だから、実に約10年ぶりか。年末不正出血大サービス・ホルモン乱れ感謝祭を一人で開催している。

 

自分の身体というのは、付き合えば付き合うほどにわからなく、わかったと思えばすぐにわからなくなる。

 

が、気持ち悪い思いや痛い思いをしても、数時間もたてばケロリとして飯を食って血をせっせと作っているのも確か。強かなものです。

 

お前も俺も、これからもこの身体とうまいことやっていこう。そして2024年も、楽しくやろう。

 

 

GWが終わってしまう前に

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GWが終わってしまう。

 

自粛期間だったおかげでどこへ行くでもなく、

アプリゲームのイベントを走るかたわら、

コロナがなければ現地幕張メッセへ行くはずだったアイドルのライブ配信をニコ生で見つつ、

自宅で悔し泣きしながら飲酒しつつペンライトとうちわを振り、

ニコ生のコメントを書き込みながら承認欲求を満たし、

合間に推しのDVDを買い、鑑賞しながら感動して泣き、

シン・エヴァについて友人と語り合った音声に手を加えyoutubeに公開し、

新しく発見したWeb漫画を爆速で読んでは感動して泣き、

それでもお行儀よくステイホームしすぎて運動不足になっては本当に命の危険があると思い、

Spotifyのお気に入りコンテンツを1.5倍速で聴きながら1日30分〜1時間ほど散歩をして、

数万年ぶりに飯を作り、時たまUbereatsを呼び、運んでいただいた飯をありがたく食べ、

風呂掃除用の洗剤がなかったので代わりにトイレ用の洗剤で風呂掃除をするなどしていたら、GWは瞬く間に過ぎていった。

 

こうして書き出してみると、まったく何もしていないように感じていた割に結構いろいろしていて引いてしまった。タスク過多だったな。ジャンルごとに細分化されたオタ友たちとのLINEグループ、3つほど返信が滞っているスレッドがあり、休み中に絶対返信しようと思っていたが、後日にまわしたのは英断だった。

 

そして今しがた。休み最終日は、翌日からクソ早起きをして仕事に行かねばならないのが悔しくて悔しくて、夜20時頃から一人でぼーっと過ごしていた。

 

が、このまま静かに終わるGWがあまりにも、あまりにも名残惜し過ぎて、日付が変わる少し前、コンビニへ行く決意をした。

 

スイーツを買うために。

 

夜飯を食うタイミングを失っていたし、そのまま寝ても良かった。

 

が、どうにも悔しくて、最終日の夜を締め括るために絶対に休みっぽくて体に良くないことをしたかった。

 

連休中、Ubereatsに頼り過ぎては家計が死ぬよね、ということで一念発起して作った煮込み料理も鍋に残したまま。いいのだ。私は今、煮込みでなく雑なコンビニスイーツが食いたいんだ。

 

部屋着から、しばらく着る機会のなかった外出用パンツに履き替えたところで、違和感。腰回りが明らかに、これまで感じたことがないほどのキツさ。

 

太った?毎日散歩して手作り料理も食べてたのに?クソがよ!!!!!!

 

 

憤り。呆れ、悔しさ。虚しさ。それらを引っ提げ、感情の整理もままならず、世の中を睨みつけるようにしながらコンビニへ向かう。

 

冷たいスイーツのラックから、4つ入りのワッフルを掴んだ。レジへ向かう途中、糖質OFFのドーナツと目が合う。何が糖質OFFじゃ。もうここまできたら、今ここでする小さな我慢など、何の足しにもならんわ!!

 

そう思ったけど、煮え切らず、糖質OFFドーナツとワッフルを両方買った。帰宅して、混乱し、両方食った。たまに、いや、結構な頻度で、私は自分という人間のことがよくわからなくなる。

 

いや、自我など、自分などこの世にそもそも存在しない。空の思想、大乗仏教の教え、密教について.........この連休中に聴いたSpotifyの内容が蘇る。ワッフルもドーナツもこの世に存在しないし、それを食べた私も存在しない。

 

目を逸らさずに現実に向きなおれば、事実としてはただただ無駄にカロリーを摂取しただけだが、気持ちは少し満たされた。

もう寝る。5/6(木)から仕事のみんな、がんばろうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日記

私には、中学1年からの付き合いになる大切な友人がいる。  

 

彼女と私は、中学の3年間に加え卒業後も同じ学校へと進み、部活もバイト先も何から何までずっと一緒だった。休みの日も一緒に出かけ、毎日同じクラスで顔を合わせていたのに、長電話もメールもしょっちゅうするほどには親しくしていた。  

 

彼女は成績優秀で努力家だった。彼女がまだ小さい時に夫を亡くし、たった1人で彼女と彼女の兄を育てていた母親に少しでも負担をかけないようにと、テストの成績で判定される厳しい学費免除の条件を卒業までクリアし続け、学生生活の間はアルバイト代の何割かを欠かさず家計に入れ続けていた。それでも弱音一つ吐かず、いつも明るく冗談ばかり言っている彼女を、私は尊敬していた。私も、辛くてもしんどくても大概冗談ばかり言って楽になりたいタイプなので、彼女はどんな時でも冗談で話が通じる貴重な相手でもあった。  

 

「自分のことを知っている人が誰もいない場所で暮らしたい」と言った彼女は、卒業後、地元から離れた大企業への就職を決めた。 そこで、年上のご主人と出会った。海の見える場所で、素敵な結婚式を挙げた。一人で自分を育ててくれたお母さんへの感謝の手紙を読み上げる際、我慢強く逞しい彼女が初めて人前で泣くのを見た。 数年後、男の子が一人生まれた。彼女に似て賢いその子は、あっという間に小学生になった。  

 

彼女と私は、中学の時から毎年欠かさずお互いの誕生日にプレゼントを贈り合っている。なんとなく、「おばあちゃんになるまで続けよう」と話したりしていた。 離れて暮らしていても、郵送で送り合って、最近では私が彼女の家の近場に引っ越してきたこともあり、会って手渡しするようになっていた。

それが先日、私へのプレゼントが数ヶ月遅れて届いた。プレゼント交換が習慣化してから初めてのことだった。LINEで「ずっと渡せてなくてごめんね」と言われ、もちろんそんなことは全く気にしないでくれ、と伝えていたが、彼女にしてはとても珍しいことだったから、少しだけ、何かあったのではと気になった。しかしきっとよほど仕事や育児が忙しいのだろう、と思い、こちらから連絡するのは控えていた。  

 

プレゼント到着から数日後、LINEで突然、ご主人が亡くなったと知らされた。 数年ものあいだ、重い病と闘っていたとのことだった。その日まで、私も他の友人も、誰も何も聞かされていなかった。 ショックで、言葉を失った。治ることを願っていたし、何て言えば良いかわからなかったから、何も言えなかったと告げられた。 こちらはと言えば、まず状況を飲み込むのが精一杯で、何かできることがあれば言ってね、と伝えるのがやっとだった。

思い返せばここ数年、ご主人の姿を見ていなかった。帰省時に会うのも彼女と息子だけだった。が、何も、少しも、一切、気がつけなかった。  

 

葬儀の日程表をもらい、喪主欄に彼女の名前をみとめ、胸が苦しくなった。 私の親世代ですら、夫の喪主をつとめるなんて話、まだ滅多に聞かない。辛すぎる。 彼女の身の回りでおそらく唯一、夫の喪主の経験者といえば、彼女の母親なのだ。こんなことってあるのか。  

 

どんな顔で会いに行けばいいのか。どんな言葉をかけたらいいのか。まるでわからなかった。 息子はまだ小さく、同居しているご主人の父母は高齢だ。背負うものが大き過ぎる。近くに彼女の親類は住んでいないはずだ。誰か頼れる人はいるのか。私は近くにいるけれど、果たして何ができるだろう。彼女が聞いてほしい話を、聞いてほしいタイミングで聞く、そんな類のこと以外、何の力にもなれないのは明白だ。彼女の人生において、私はあまりにも無力だ。そんな風に、力になりたい気持ちが湧くのと同時に、力になれない事実に気づいて、何とも言えない気分になった。  

 

色々考えて、胃がどんどん重たくなった。が、誰より辛いのは遺族である彼女であり、部外者の私が傷ついたり泣いてしまうのはおかしな話だと思って、こらえた。  

 

新型肺炎の影響で、告別式は家族葬になるとのことだったので、通夜に参列させてもらうことにした。 当日は、通夜会場に収まらないほど大勢の弔問客が詰めかけていた。亡くなったご主人は大きな企業の上級職だったために、会社の役員や同僚であろうと思われる年配の人たちの姿が多く見えた。  

 

彼女は、息子と最前の遺族席に座っていた。誰かが焼香するたびに、ぺこりと頭を下げ続けている。喪主は通夜の締めに挨拶をしなければならない。少しでも気持ちを乱してしまってはいけないと思い、見たら泣いてしまいそうだったのもあるが、焼香の時にはあまり彼女の方を見ないようにした。  

 

焼香が終わり、喪主の挨拶の段になった。 会場内に人が入り切らないので、会場の外でマイク越しに音声を聞くことになった。  

 

彼女が人前で泣く声を聞いたのは、10数年前の当人の結婚式以来だった。  

 

あの時と全く同じように、大勢の参列者を前にし、声を詰まらせながら自分の書いた文字を読み上げている。しかし、会場にはあの時のようなあたたかい空気も笑顔もなく、皆黒い服をまとい、彼女の震える肩を支える優しい人の姿もない。

「人生これからというときに」

「突然一家の大黒柱になって、正直不安で一杯です」

そんな言葉が聞こえた。 会場の中を覗こうと思えばできたけれど、私は彼女の声を聞くのが精一杯で、その姿をきちんと見ることがどうしてもできなかった。  

 

式が終わり、彼女の母親とお兄さんに挨拶しなければと思った。二人とは面識もあるし、彼女とは遠く離れて暮らしているため「私が近くにいますから」と伝えて、少しでも安心してもらえたらと思った。が、姿が見えない。  

 

帰る弔問客と、ご遺体の顔を拝んでいる人たちの相手をしていた彼女が、合間を見て近づいてきてくれた。ごめんね。わざわざごめんね。言えなくてごめんね。と謝りながら、彼女は泣いた。こらえていたが、私もつられて泣いた。何か言おうとしたが、うまく言葉が出ず、「大丈夫?」と、大丈夫なわけがない相手に、思わず言ってしまった。うんうん、と頷く彼女を見て、二の句が告げなかった。  

 

大変だったね、辛かったねとか言うのは、何となく、避けた方がいいように感じて、そんな風には言わなかった。

ご主人の病気の仔細も、どんな闘病生活を送って最期がどうだったのか、そんなことも、聞かなかった。彼女が話したい時に話してくれたらいいし、話したくなければ一生話さないでくれたらいい。 彼女の辛さは、どう転んでも彼女にしかわからないし、こちらから色々と聞き出して、その時の辛さを思い出させた挙句、悲しんでいる人の心情を想像したり決めつけて同情したり、なだめたりするなんておこがましい。そう思った。  

 

とにかく、ご飯を食べて、寝られるだけ寝てくれたらいいな、と、それだけが心配だった。喪が明けたら、仕事に行かなければならないだろう。件の騒ぎのおかげで、学童のための弁当も毎日作らなければという話を先日聞いていた。いつも通りの日常が否応なしに戻ってきてしまうのだろうか。彼女はどこまで逞しくならなければいけないのか。もういいだろう。どこにもぶつけようのない憤りを感じ、姿の見えない何かを呪おうとした。だけど何度も言うように、私は悲しいほど部外者で、彼女に共感することすらもおこがましいはずなのだ。辛かったねと一緒に悲しむ権利すら、持っていない。どれだけ辛いか、考えたところでそれは少しも想像の域を出ず、ほんの1mmでもわかってあげることなどできない。それがどれだけ長い時間一緒に過ごした大切な友人であってもだ。それを簡単に悲しんだりしてしまうことは、この上なく失礼な気がした。  

 

そしてその姿の見えない何かを、ただ「運命だ」と片付けるには、あまりにも目の前の現実と乖離しているように思えて、どこまで考えを巡らせても違和感しか生まれず、いつまでもいつまでも、全くしっくりこなかった。この気持ちは、言語化するには至らない。この先もずっとそうだろう。だから、言語化できない何か、とだけ残しておきたいと思った。  

 

彼女にやっとのことでいつでも連絡してねと伝え、お母さんたちは?と聞くと、新型肺炎のこともあるから、参列は遠慮してもらった、とのことだった。 そうか。お母さんもお兄さんも、長時間公共交通機関を使わなければこちらへは来られない。葬儀の期間、彼女の実の家族が彼女の近くにいたら、少しは安心できるのではないかと思っていたのに。ウイルスのクソが。滅びろ。  

 

彼女の息子にも声をかけた。彼とは、前回のゴールデンウイークに会った以来だった。 「久しぶりだね!」と声をかけたら、「誰だっけ?」と返され、その様子を見た彼女はケラケラ笑っていた。  

 

時たま喪主様!と、葬儀社の人に呼ばれたりまだ残っている人の相手をしたり慌ただしそうだったので、邪魔してはいけないと思い、帰ることにした。ありがとう、と言われて、落ち着いたら会おうね、とだけ言って別れた。  

 

喪主様ってなんなんだよ。なんで大事な人を亡くして辛い思いしてる人に仕事を与えるんだ?一体どういう神経してるんだ。かねてからモヤモヤしていたこの謎のルールについて改めて恨めしく思いながら、それを気丈にこなす彼女を尊敬しつつ、また胸が苦しくなった。  

 

万人に弱音を吐く場所が必要かどうかはわからない。弱音を吐かないことで生きやすくなるタイプの人間がいることも知っている。  

 

だけど、身の回りのそういう人が、どうにも自分で処理できない感情に支配されそうになったら、その時には良ければ声をかけてほしいと思う。助けになれる見込みはない。辛さのほんの一部分でさえ、私が引き受けることはできないけど、辛かったことについて直接話さずとも、何かを話したり伝えたりすることで、少しでも気が楽になりそうなら、そういう時には迷わず頼ってほしい、とそれだけを考えている。忍野メメではないが、人は一人で勝手に助かるだけ、だから力を貸すことは出来るけど助けることは出来ない、みたいな話だ。  

 

まとまらないが、自分の気持ちを整理するために、書きたいことを書いた。少し落ち着いたが、それでもまだ整理はつかない。  

 

その事実も、そのままここに残しておく。        

有名人が死んだ時にだけ沸いてくる評論家の何が悪い

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さくらももこが死んだ。

 

大変悲しい。悲しいという言葉では全然足りないくらい悲しい。

 

有名人が死んだら、急にその人のことをしたり顔で語り出す人がいる。SNSとかで。

 

私はそれが結構好き。へーこんな逸話があったのか、とか、なるほど、この人が関わったこの作品はこういう解釈ができるのか。とか、twitterなら更にぶら下がっているリプを読んで、これは真偽が微妙だなとか、ああこんな裏付けがあるのか、とか、色々思いを巡らすのも、好き。

 

あとは、ただただ故人に対する個人的な感情を垂れ流してるのも好き。わかるよ、あるよね思い出、語りたいよな、と理解し共感できることが多い。

 

さくらももこの話に戻るけど、多くの人にとってそうであったらしいように、私にとってもさくらももこは、あらゆる面で多大な影響を与えてくれた人。だから訃報にびっくりしたし、悲しかった。と共に、色々思い出したので、特に内容の無いメモだけど、みんなと同じように思い出を書いてみた。

 

漫画もアニメも好きだが、一番はエッセイ。小学校の頃、入院していた時期があり、そのとき母親が持ってきてくれた何冊かの本の中にさくらももこのエッセイがあった。難しい言葉は一つもなく、全体がリラックスした文体で、水を飲むようにさらさらと読めた。

 

ちびまる子ちゃんは好きだけど、あの人文章も書くのか。いいな。こういうの書けて暮らせたら楽しそう。もともと作文が好きだったので、感化され、入院中の出来事を文章にしてみたりもした。それで、リラックスした状態で読めるリラックスした文章を書けるのって才能なんだな。と感じた記憶がある。

 

退院してからも自宅にあったさくらももこの本を読み漁った。さるのこしかけ、もものかんづめ、あのころ、まるこだった、ももこの話。。。

 

特に、ももこの世界あっちこっちめぐりという本は何度も何度も読み返した。

 

さくらももこが雑誌の企画で世界各国を旅し、そのレポを写真と共にまとめた本。

 

特にフランスとイタリア、インドネシアの回が良い。フランスは、核実験をしたあとだったからかなり印象悪かったけどある目的を達成したいからと渋々行くことにした、みたいな導入で、そういういちいち批判的だったり懐疑的だったりするところや、それをストレートに伝える彼女のスタイルも好き。

 

フランスではピエールラニエというメーカーの時計を、イタリアでは高価なベネチアングラスなんかをとにかく買いまくるんだけど、その話と綺麗な購入品の写真のページを穴があくほど見た。自分で稼いで自分の好きなものを買う大人に憧れ、早く自分の稼いだ金で海外というものに行きてぇ、と強く思った。

 

インドネシアでは、山奥の集落にものすごい絵のうまい人達が住んでいるという情報を聞きつけ、訪ねて行ってアリミニさんという女性の絵を買うのだが、写真で見たその絵がめちゃくちゃに素敵で、そのページは色が剥がれるほど見た。世の中には知らんことが、知らん人が、知らん物がいっぱいだ。

 

で、大人になって、自分の金でフランスとイタリアに行った。ベネチアングラスもこの目で見た。とても手は出なかったけど、あの頃の、稼いで海外行きたいという夢を実現できただけで幸せだった。

 

小学校の時、私は入院するのが大好きだった。具合は悪くても、誰からも文句を言われずに大嫌いな学校を公に休めるなんて幸せすぎるし、永遠に入院していたいと常に思っており、退院が決まると鬱になっていた。今だって小学校時代以上に毎日休みたい。怠惰なまる子は、風邪で学校を休んだ日がいかに天国かというのを再認識させてくれた。休みたいでしょ、みんな。と、特にあてどころのないようなメッセージをふわふわ撒いてくれた。

 

当時は世の大人から批判とかあったのかな、とふと思う。だとしても、大人が力を集結させて世に出した作品の中から、ダラダラしたいとかサボりたいとかの感覚を持つのは子供だって大人だってよくあることだろうが、ってメッセージを勝手に感じて受け取って、少なくとも当時の私は大いに安心できた。

 

あとはいきもの図鑑も大好き。当時この本を読み、まだ見ぬゴキブリという虫に思いを馳せていた。漫画ならちびまるこちゃん番外編みたいなやつで、成長したももこが初めてディスコに行く話が好き。コジコジも好き。

 

装丁という言葉も、電グルも、ハレクラニのクロワッサンも、ちあきなおみも、紹興酒に砂糖を入れると美味いらしいことも、オランダでは安楽死が認められてることも、全部さくらももこの本から覚えた。エッセイのヒロシの替え歌の回は息が止まるほど笑った。タバコは百害あって一利無しとか酷い言われようだけど、「何もしてない人」が「タバコ吸ってる人」に変身できる点だけをとってみても既に一利以上あるだろうが。みたいな話も好きだった。

 

色々思い出して脈絡無く書いてスッキリした。文章を書くことの良さも勝手に教わった気でいる。帰省時にまた彼女の本を読み返したい。

 

・このブログの本題、食べ物について

最近我が家で宅配弁当サービスを利用し始めたために毎回同じ内容になりそうなので一旦やめてますが、弁当以外の日の記事はまた書きたいです。

 

1月15日以降、食べたもの

 前回解禁日1月14日以降の記録。記憶をたどる。

 

1月15日

麻婆豆腐は素(モト)を使わずに作ると美味しいという無駄な自慢話を夫にうっかりしたため麻婆豆腐を作る運びとなる。久々だから作るものが麻婆豆腐と呼べるものになるかどうか不安だったものの、作り始めたら意外と体が覚えていた。

ひき肉は買わず、冷凍していた豚の塊をミンチにして使う。腕がつった。

 100均に花山椒が入ったラー油が売ってるんだがこれがめちゃくちゃ良い仕事してくれた。というより8割方このラー油の味が支配した。オススメ。買いです。

 

1月16日

夫のまさかの麻婆豆腐リクエストにより、前の日の残りで仕方なくとかじゃなく、昨日と同じ工程を一からなぞり同じものを作って食卓に出すことに。これが困難を極めた。

料理下手あるあるだと思うが、なんとなくで作ってたまたまうまくいった料理、二度と同じものができない。冗談じゃなく、食べられる味に仕上げるまで前日の倍時間がかかった。本当に意味がわからない。やれやれ。

 

1月17日

夫飲み会、1人で麻婆豆腐の残りを完食。一晩寝かせたらちょっと引くくらい美味しくなっていたが、誰とも共有できない悲しみに肩を震わせ、泣きながら完食。

 

1月18日

神の食べ物を発見する。

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すごい糖質感あるのにめちゃくちゃ糖質低い。甘くて濃くて美味しい。今の所、渋谷駅の地下の変な売店でしか見たことない。目撃情報あればください。

コスパがいいという表現はちょっと違うな。カーボンパフォーマンスが良いからカボパにしよ。カーボンパフォーマンスで調べたらドイツのバイク用品メーカーがでてきたよ。仲良くなれそう。

 

昼は会社でアボカド。

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皮をむくのはもう止めた。夜は何を食べたか一ミリも思い出せない。多分どうでも良い惣菜。

 

1月19日

金髪の美女とチャラいクラブへ。何も考えず家で野菜と肉を喰らい腹パン状態で出発。苦しい。畜生。踊れねえ。

酒を飲んで夫に迎えに来ていただき帰宅。美女がセットだと夫も気前が良い。

 

1月20日

日本橋へ。タイの国旗を大きく掲げた韓国料理屋でk-popを聴きつつサムギョプサルを食う。大変美味しい。合間にシャザム(曲を聴かせると誰のなんていう曲か教えてくれるアプリ)。塩キャベツおかわりし放題。野菜の価格高騰を案じ遠慮がちになるも二回おかわり。そしてまたシャザム。k-popが軒並み格好良い。その後、付近の洒落たバーみたいなとこで友人が出るDJイベントに行き、渋谷に移動してクラブでハウスを聴いた。

 

1月21日

くら寿司。馬鹿の一つ覚え。前回同様麺なしラーメンシリーズより担々麺を選ぶ。

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ブロッコリーのサラダなど食べながら商品を待つ合間、ガリを貪り気をまぎらわす。茶碗蒸しが品切れだったことに落胆し、夫は夫で目当ての魚がほぼ品切れでしょんぼりしていた。くら寿司、早い時間に行け。絶対だ。約束してくれ。21時過ぎに行ってみろ。何もねえぞ。気をつけろ。

びっくらポンが当選しても無視して食べつづけ、サイドメニューラストオーダーです!の合図で退店した。

 

1月22日

昼、社長と社員のみなさんと向かいのしゃぶしゃぶランチへ。

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希少部位セット?とかで、肉は1人あたり3枚。秒で片付けたい気持ちをおさえ、みんなのペースに合わせてゆっくりしゃぶしゃぶした。ポン酢が常軌を逸したクオリティだった。

 夜はキムチ鍋作った。野菜高騰につきメインはモヤシ。

 

1月23日

雪により自宅勤務。一歩も家から出ず、日中摂取したのはリンゴとヨーグルト、コーヒーと納豆のみ。果糖とっちゃった。

夜はキムチ鍋2回目。生姜をごま油で溶いて仕上げにかけたら馬鹿みたいに美味しくなった。みんなもやってみて。

 

1月24日〜25日

キムチ鍋、キムチ鍋

 

1月26日

夫の強い希望で太陽のトマト麺へ。豆乳入りの糖質オフ麺とは言え解禁日以外にラーメンなんて、、、緊張する。

 緊張しすぎてレディースセットにしてしまった。

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唐揚げとサラダ、一口リゾット、小ちゃい水餃子はチーズフォンデュだれをセレクトした。何料理を食ってるんだか。脳がバグりそう。

 

麺は安定の美味さ。

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1月27日

夜、バーミヤンのしゃぶしゃぶ食べ放題。

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野菜、豚、牛、豆腐、水餃子、ワンタン、鶏団子、春雨、ごはん、中華麺、卵、お代わりし放題。鍋ぞうも楽しいけど、バーミヤンも最高。野菜とか取りに行かなくても店員さん持ってきてくれるし、ありがたい。

肉は半解凍で板みたいに硬く、何枚も連なったまま全然剥がれなかったから、まとめて鍋に突っ込んで煮た。

 

1月28日

やらかした。用事があって一人で立ち寄った渋谷ヒカリエ、昼飯食うかと地下の総菜屋で適当に買ったおかずが、むちゃくちゃ高かった。値段見ずに買って、引いた。

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これ。北海道産ホタテとエビとイモとブロッコリー炒めみたいなの。200g、この量で1,600円くらい。え?何かの間違いでは。おかず、16粒くらいしか入ってないから、1粒100円だ。まじか。

 

悲しみをつつみ隠し、ちぢみほうれん草のナムルとブロッコリーのサラダだけ食べ、

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高いおかずは夫と合流してから半分ずつ分けた。

そのまま横浜に買い物へ。意図せずフォトジェニックなものを食べる。

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多分人生で初めてビーフストロガノフを食べたけど、名前に反してめっちゃ親しみやすい味だった。

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右のパン、すっっっごい美味しそうで、ひとかけら食べて夫にパスしたけど、すっっっごい美味しかった。名残惜しくて300回くらい咀嚼した。早く解禁日こないかな。パン食べたいよ。

 

1月29日

寒くて料理する気にならない。コンビニ飯。

 

1月30日

昼のアボカド。最近は穴にツナをねじこんで醤油マヨにしてる。

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夜。寒くて料理する気にならない、とか言ってられない。毎日全然寒いままだから。雪も溶けないし。岩手かと錯覚する。体にムチ打って台所に立つ。豚こまと野菜を炒めてフライパンごと食卓に出す。モヤシ、ふた袋も入れたのに熱したらぺしゃんこになった。

野菜だけじゃなくて肉も高くなってない?豚こま500円だよ1パック250gくらいのやつ。こまのくせに。

日本は年に2%ずつ物価を上げてくとか聞いてるけど正気か?殺す気かよ。仕方ないな、外食するぞ(笑顔)?

冗談でなく、二人前作るなら場合によっては外食のほうが安かったりするかもしれぬ。

 などと調子に乗っていたら、飲食費でバチバチ切りまくっていたクレジットカードの一カ月の請求額が20万くらいになっていてさすがにエンゲルやば夫婦すぎるなと感じた(感じたけど反省はしていない)

 

1月31日

京都へ日帰り出張。素敵なカフェへランチ目当てに入るも、当然ランチには主食がつく。米なし煮込みハンバーグを泣く泣く注文。

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芽キャベツ入ってた。付け合わせみたいな野菜はマスタード風味だしめちゃくちゃ好みだった米食いてえ。何より、本当に本当に味噌汁が美味すぎてやっぱ京都はダシが違うのかと感涙した米食いてえ。

 

帰路、結構疲れがピークで、コーヒー買って新幹線乗るかーと立ち寄ったカフェで血迷いカオスな飲み物を買ってしまい後悔。

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モンブランチーズケーキマシュマロ

モンブランチーズケーキマシュマロ?

それなに?飲める?

いまだかつてこんなに胸踊ったフレーズがあったかしら。数年前地元の温泉で宿泊したプランの「タラバも寒ブリも食べ放題!ステーキてんぷらもライブキッチンで出来立てを!」みたいな煽り文句で小躍りした以来かもしれぬ。

買ってしまってからビビってネットで糖質調べたけど出てこないしどうでもよくなって一気飲みした(美味しすぎて一気に飲まざるを得なかった)。

 

もう、昼に米を我慢したのが水の泡どころか荒波になって襲ってきたくらいのパンチ力ある味で。

ちなみにホットにしたため、見た目はクリームもソースもマシュマロも全て溶けきってただの甘い茶色い液体になっていたことだけは記録しておく。アイスが正解だったようだ。

 

そして京都らしいお土産は一切買わず新幹線に乗り込み、着いた新横浜駅であまりに腹が減りとっさに買ってしまったのがこれ。横浜レンガ通り。

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糖質以外逆になにが入ってんすか?くらいの勢いのお菓子。横浜のお土産として人気?なのかな。いや、どうでも良い、今食う。横浜線を待つ間に食う(横浜線10分に一本でつらみ)。疲れを言い訳にして食う。

え、美味しい。なんだろう、お菓子ってこんな美味しい?久々だからかな(さっきの飲み物はノーカン)。アーモンドとキャラメルとさくさくがすごい仲良し。さすが横浜。

ホームで隣のサラリーマンが電話で後輩の愚痴を同僚かなんかにたれているのも気にならないほど美味かった(「23歳であそこまで常識ないなんてさ、もう価値ないよ。死刑だよな。」とのことです)。

 

帰宅し残った横浜名物を夫に手渡すと「え、京都行ったんじゃ?」というので無視して「うまいよ」と進めたらうめーうめーと食べてたからよかった(不憫なようだが、我が家ではもともと基本的にお土産文化は禁止)。

 

湿疹出ませんように。祈。

 

家に着いたのは22時くらいだったし夕飯はさすがにやめておいた。

 

2月1日

夜遅くなり、カット野菜ともやしと豆腐と豚肉をぎゅうぎゅう蒸し器(こないだ友達にもらったやつ)に詰めてレンチン。すりごま買ってきてマヨネーズと醤油とポン酢と鶏ガラスープ混ぜてゴマだれみたいなの作って食べたら結構よかった。ゴマだれは自作が美味いかもしれない、コスパも良い。

 

あと、なんか急に里芋とひき肉の煮物が食べたくなり夜中に作った。しいたけとしめじも入れてみた。明日になれば味が染みてるだろうと作るだけ作って寝た。

里芋は糖質高い。全然NG。でも作っちゃった。

 

2月2日

また遅くなったのでコンビニでイワシのつみれ汁を買って、家で里芋の煮物と共に食べた。この汁、神の汁。糖質めっちゃ低い。助かる。煮物、うまくできた。

みりんも酒もがっつり入れたから糖質やばいな。最近自分に甘くなってるな。

気をつけよ。と思っていたら、気づけば3週間経過していて明日2月3日はもう解禁日。

恵方巻き食べるべきかな。でもそれを差し置いても前回食べ損ねた中目黒のパン食べ放題だけは絶対行きたい。

あと、糖質制限はじめてから起きた体の変化も近いうち記事にしたい。

 

マハロ。

 

 

1月14日糖質解禁日

※だいぶ時間があいてしまい、なんなら次の解禁日ももう終了したけども記録のために書きました(2018/02/05)

 

1月14日

夜から糖質を解禁しようと思っていたが、待ちきれず夕方に出先でミニボンを三つ購入した。


ミニボンとは、ファーストキッチンで売っている小さなシナボンのこと。シナモンロールにベッタベタの砂糖がでろんでろんにかかった最高なやつ。
すぐにでも歩きながら口に突っ込もうと思っていたのに、箱詰めされたミニボンを渡されるとき店員さんに「温めかた書いてますので」と言われる。
嫌な予感がして店を出てから箱を少し開け様子を確認すると、周りの砂糖がガッチガチに固まってて常温ではとても食べられるものではなさそうだった。

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失望した。黙って夜まで待てということか。やだやだやだ。

気を取り直して自宅付近の駅でメロンパンをぶっ潰して固めたような奴と大きいどら焼きを買った。

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それらを手に持ち、夫の迎えを待ちながら駅のどうでも良いパン屋でパン二個とコーヒーを吸い込むように摂取。

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その後、車で本解禁日のメイン、とらきち家に向かう。

とらきち家は、釣り好きというかもはや釣りの合間に仕事してるのかなみたいな勢いで釣りばかりしている夫の友達のおススメで食べに行き、あまりのうまさに身悶えした家系ラーメン屋さん。家系ラーメンは元々すきだけど、その中でも群を抜いて美味しい気がする。

関係ないがその釣りの彼は毎度ジュースを飲むかのようなスピードでラーメンを食べるので歯がオサガメとかぬたうなぎみたいになってるのかな?と常々思っている(画像貼ろうとしたけどグロすぎたので検索してみてください)。

家系ラーメンの歴史や文化的背景にはあまり明るくないが、このとらきち家は割と古くからあった家系ラーメン屋のすぐ近くに出店して、結構流行ってしまい、元祖的な方の店が閉店しちゃった、みたいな話は少し聞いた。
ラーメンが食べられるのが嬉しくて嬉しくて小躍りしながら向かった。車内で。

さっきのどら焼きと平らなメロンパンをむしゃむしゃ食べながら。このどら焼き、すごい大きくて超幸せになるよ。

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これがとらきち家のラーメン。キャベツ追加したんだったかな、、、?


ここは千切りのフリー生姜があって、後半あぶらが重たくなってきたところにめちゃくちゃに入れるとバチクソうまい。
まごうことなき家系ラーメン。日本に生まれてよかった。神奈川に住んでてよかった。人種も差別も宗教もなんでもいい。みんな家系ラーメンを食って忘れよう。

帰り道、100均でお菓子を買い車内でむさぼる。

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地味に、グミがすごい嬉しい。心置き無くグミを噛めるなんて幸せだ。

 

それからコメダに寄り道した。

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甘いたっぷりアイスミルクコーヒーも飲めちゃう。幸せ。

 

最寄りのコメダ、高校生くらいのイケメン男子店員さんが研修中なのだが、彼、注文を間違えずにとってくれた試しがない。100%、間違える。イケメンだし許すけどさ!

 

そして、川崎へ夜中12時から上映する映画を観に行き、大満足で帰宅した。

 

翌日。

起きて、絶対に中目黒のパン食べ放題に行く!と意気込み夫と出かけたが、いつにも増してのんびりしてしまい、ランチの14時30分ラストオーダーに間に合いそうもない。ラストオーダー!間に合わないいいい!と嘆いたら、「行きたいなら行きたいで、きちんと何時までに入らなきゃいけないとか、伝えといてもらわなきゃ困る。一人で行けばよかったんじゃないの」と叱られ、それもそうだと反省し、「では、タイ料理を食べましょう」と即、代案を投げた。切り替えは大事だよ。

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ヤムアボカドというサラダ的なやつ。この世のものと思えぬうまさ。

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トムヤムチャーハン。日本人向けの創作料理なのか知らんが、とにかく美味しい。これがもしタイ料理なら、タイに生まれたかった。

 

このランチにて解禁日終了、と思ったが、大事なやつを忘れていたことに帰宅してから気づく。

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あたためたミニボン。しょうがないから、モリモリと食べました。悪魔的なうまさ。

 

次の解禁日こそ、中目黒のパン食べ放題に行くぞ。絶対に。

 

マハロ。

 

12月31日以降、食べたもの

あけましておめでとうございます。

おみくじは凶でした。何事も控えめにコツコツやれ、頑張ってもいいことあんまりないからな、みたいな内容でした。厄年はじまりはじまり。早くお祓い行きたい。

 

12月31日

友人が泊まりにきた。よって、みんな大好きびっくりドンキーに出かける。

ハンバーグは、つなぎに炭水化物混入の恐れがあるためステーキにした。

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その後もう一人の友人も合流し別のファミレスでお茶。フレンチトーストを吸い込む夫を尻目に無糖のコーヒーをすする。 

その後渋谷でカウントダウンパーティーに参加し、パリピにまじって年越しをした。最前列で人の波に揉まれている中、友人様から誕生日プレゼントで素敵なリップをもらいブチ上がりまた別の友人様から美容オイルもいただき、気合いが入る31歳。夜明け、帰り際にみんなですしざんまいに行き、1人だけ刺身を食べた。周りから「大丈夫、君が食べられない分私たちがかわりに食べるから任せて」と言われ続け、何かこう不思議と仏陀に近い心持ちになった。

 

1月1日

夕方に起きてなおかつ三回昼寝をする100%寝正月。合間にピザをデバる。ピザを吸い込む夫を尻目にグリルチキンとナゲットを食う。

 

1月2日

 友人含め3人で調布の深大寺へ初詣へ。気づいた。糖質制限者にとって出店はウィンドウショッピング対象でしかない。何も買えない。まじで、何も、買えない。

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焼きそば、たこ焼き、フライドポテト、ベビーカステラ、あんず飴、寺オリジナルの蒸し立て焼き立てのまんじゅう、パン、おやき、せんべいなど、一つも食えるものがない。地獄。まんじゅうから立ち上る湯気の向こうにいる販売員マダムの顔が霞みゆく。これは幻想か?

これからは、どんな祭りも私にとってはお通夜だ。イカ焼きとかある気の利いた祭りならギリ大丈夫。

気を取り直しておみくじを引いたら凶が出た。光の速さで木に結ぶ。震えが止まらない。お祓いを、だれか、お祓いを。ガクガク

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その後敷地内の蕎麦屋で美しい蕎麦を見ながらやたら美味いおでんを食べて帰宅した。

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1月3日

くら寿司に行く。くら寿司は寿司屋のくせして糖質制限者対象のメニューが沢山あり素晴らしい。ブロッコリーのサラダと、麺なし味噌ラーメンなどを食べる。ラーメンには野菜追加もできる。野菜をふた皿追加。

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また、シャリが酢漬け大根になった寿司もあるのだが、残念ながら酢漬け大根が苦手なので断念。酢漬け大根以外の選択肢が増えることを望む。

 

1月4日

特筆すべきものは食べていない。

 

1月5日

バーミヤンに行く。青菜炒め、肉みそきゅうり、酢豚などを食べる。青菜炒め、割とどうでも良い中華料理店でも1,000円近くするイメージがあるが、バーミヤンなら500円くらい。素晴らしさ。

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1月6日

タイ料理のティーヌンに行く。横浜。トムヤムクンの具が豆腐のやつと、鳥のカレー煮込みを食べる。煮込みは甘みがすごかったので少し不安。砂糖入れてるのかな。でも悔しいほどに美味い。

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1月7日

おしゃれ珈琲屋で美味い珈琲を飲む。

その後焼き鳥屋で串と野菜を食いまくり、やっぱり居酒屋コスパ悪いな、と言いながら帰宅。

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珈琲屋さんの様子

 

1月8日

友人夫婦とびっくりドンキーへ。頻度やばい。でも飽きない。これからもびっくりドンキー創業の地である岩手県出身者としてはこのくらいの頻度をキープしたい。

つなぎのことは考えず、親のカタキのようなサイズのハンバーグ300gを食う。ゆずおろしがついてたからプラマイゼロだし、等言い聞かせる。

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1月9日

仕事はじめ。雇用主から「少し痩せました?」と聞かれ舞い上がる。上司からの相談に対し「頭がお正月です、もう少しゆっくり話してくださいますか」などと言いながら仕事をこなす。昼は、自家製のおからパンをモソモソ食べる。ヨーグルトも食べる。

 

『おからパンレシピ』

生おからと大量の卵とバターと牛乳と塩を混ぜて適当にジップロックコンテナとかに入れてレンチン、冷凍保存できます。

 

塩がきちんと混ざらなくて、場所によっては塩をそのまま食ってるようなしょっぱさ。きつい。夫に味見させたら「こんなもん食ってたら病気になる」とのこと。2018年は適正な塩の使い方を始めたい。

夜はスーパーの惣菜。

 

1日10日

昼は病気になるおからパン。

夜は大戸屋で生姜焼きと唐揚げ。米は夫に献上。追加料金で変更できるみそ汁、お母さんの味がしてうまいよ。

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1月11日

取引先訪問。名刺を忘れげんなり。先方と美味しいランチへ。付属のパンは我慢。

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付け合わせのかぼちゃと芋、我慢できずたいらげてしまった。

夜は刺身と卵。

 

1月12日

昼、職場真下のスーパーでアボカドを一個買い剥いて食う。これ、最高なのではと気づく。気まずさを押し込めてお寿司コーナーからフリー醤油を一つもらい、そっと財布に入れる。だし巻き卵とさけるチーズ、無糖ヨーグルトと味噌汁を飲む。

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夜、中学校からの友人と年末からリスケになっていた横浜は伊勢佐木町のエビを食いまくる店に。エビ1kgをしゃぶしゃぶして食う。

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荒ぶるヒゲと散らかる野菜

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火鍋的な感じで二種類のスープで食べる

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おまけのガーリックシュリンプ

 

誕生日プレゼントで素敵な品物をたくさんもらう。なんと、糖質制限者のための食品別糖質量ハンドブックもいただく。

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これ感動した。ずっと見てられるくらい楽しい。わー!茶碗一杯分の白ご飯よりハンバーガーのほうが糖質低いんかよ!とか、延々できる。それから糖質制限レシピ本、レンジで使える蒸し器とゆで卵器など頂き、早速使っている、最高。

 

1月13日の夜から1月14日の昼にかけて、糖質を解禁したので次回ブログに書きたい。今回は家系ラーメンに取り組んだ。

厄を落とすには出産しかないと一説に聞くが、もう間に合わない。なので、何かを産んだつもりで今年を乗り切りたい。

脂漏性皮膚炎の皆さんにとっても良い年でありますように。マハロ。